■ まず今回のメンバー紹介

  松村雅亘 さん : 大阪のギター製作家。ロベール・ブーシェの愛弟子、1980年にはパリでギターを製作。国内外でギター文化の拡大にご活躍。
  中村 通さん  : 福岡のギター製作家、ミュージシャン。大手ギターメーカー勤務後独立。
  松本 さん   : 大阪のギター製作家。スペインで修行、ロマニリョスの講習にも参加。
  福田寛紀さん : 大阪のギター製作家。第1回、2回のアマチュアギター製作コンテストで入賞。
  田中 慎さん   : 京都のプロギタリスト。最盛期のロベール・ブーシェのオーナー。
  丸山利仁 : 筆者


       
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 ■ ギターを機内に持ち込みたい
 完成したばかりのギターをパリで弾いてもらうのも今回の大きな目的。私のほかに製作家の福田君と、松本君も持ってきていた。
飛行機の荷物室へは無条件に入れてくれるのだが、スーツケースと同じように扱われると思うと大いに心配だ。

 ここで今回の引率教官、海外経験豊富なギター製作30年の松村さんにまずお世話になる。彼の搭乗受付嬢との交渉によって、なんとか「機内担当に任せます」ということになった。
そして機内入口で我々のギターケースを見た乗務員、なんとファーストクラスの一角に納めてくれた。めでたしめでたし。
ボーイング777という大きな飛行機だったということも幸いした。

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 ■ パリ着 : 空港からが大変でした
   12時間のフライトも二度の食事と絶え間ない会話とアルコールであっという間に過ぎた。
シャルル・ド・ゴール空港はあきれるほど広い。到着してから荷物を受け取ってバス乗り場を探すまで2時間ほど経過。ロワシーバスという2台連結のバスに乗り込む。それぞれが大きなスーツケースとギターを持っているが、バスの連結部などに置き場があるので大丈夫。行き先はパリのオペラ駅(もちろんあのオペラ座のこと)でおよそ1時間かかる。
道中の田園風景は良かったのだが、なんとも運転が....巨大なバスなのにルノーやシトロエンをスイスイ抜いていく。狭い街中の道でもブンブンと走る。急発進に急停車。ついにメンバーの一人がダウン...

 やっとこさオペラ駅到着。そこで見たものは「オペラ座」。さすがに巨大で独特な風格があった。ライトアップも美しかった。みんな疲れてはいたがちょっと元気をもらった。
さてモンマルトルのホテルへはまだ関門があった。両手と肩に大きな荷物を携えてあのメトロ(地下鉄)に乗り込むのだ。何事も勉強とパリ在住経験者のリーダー松村さんのあえての決断だ。見るからに治安が悪そうな夜のメトロ、しかも初めて。単独ではありえない行動だ。実はこれでこの先の度胸がついた。

 ヴィリェという駅からホテルまでトランクを引きずって約10分。下町のマルゼルブホテルという滞在型の宿。キッチンが付いているのが特長で一泊79ユーロ。ここで6泊することになる。

     ホテルの部屋

 ■ ロベール・ブーシェのお墓参り
 パリでの初日。今日は楽器屋さん通り→ロベール・ブーシェのお墓→リベルト・プラナスさんのギター工房で交流会という段取りになっているが、その前にホテルのオーナーから頂いたシャンパンで朝食パーティをすることになった。さっそく駅前の朝市へ。生魚以外は何でも手に入る。特にチーズのバラエティには驚かされる。京都から別途パリ入りしている佐々木さん(女性)が朝早くからパーティーのお膳立てをしてくれた。ほんとうにメルシー!、感謝感謝。

 ちょっとホンノリ気分でギター片手に街に繰り出す。楽器屋通りはホテルから歩いて行ける。なるほどたくさん並んでいる。わがアルトサックスのメーカーであるセルマー社のお店もあった。最も興味をひかれたのは1800年前後の古いギターを修理/販売している工房で、フランス語をもうちょっと覚えてまたきっと来るぞと思った。
 その通りに「イザベルの店」がある。イザベルとは松村さんの若い頃からの知り合いでスペイン出身の女性。今はクラシックギター専門店オーナーだ。パリでギターを売りたければまずイザベルさんを訪ねなさいというほどの店らしい。私たちがギターを持参したのも「あわよくば」という目論見もあったからだ。しかしながら今日は我々に随行する「ステファノ・グロンドーナ」という日本でもおなじみのイタリアきってのギタリストが主客としてビジネスの挨拶をするにとどまった。ただそのなかでも店員のギタリストが私たちのギターを弾いてくれたのは嬉しかった。

 ロベール・ブーシェのお墓へは郊外電車に乗って行った。下車してからけっこう歩いた。楽器屋街でもよく歩いたので到着したときは足が棒になっていた。
世界の巨匠ブーシェ氏のお墓は思いのほかシンプルであった。墓前にお花や各自のギターを捧げる。松村さんは目下翻訳中のブーシェ氏のギター製作記録(仏語書籍)を捧げる。そして記念撮影となるのだが、、、、

 実は大変なことが起きた。
各自デジカメでパチパチしていると墓地の監視員が恐い顔をして近づいてきた。どう見ても家族には見えない東洋人が寄ってたかって墓の前でゴソゴソというのは、なるほど尋常ではなかろう。案の定、「ここでいったい何をしているんだ。今撮影した画像を消しなさい!」とジェスチャーとドスの聞いた声。しかも写真を消しただけでは済まないような雰囲気もあった。タイミングの悪いことに、フランス語を話せる松村さんはお花を買いに行ってここにはいない。

 この危機を救ったのは唯一の西洋人であるステファノ・グロンドーナさんだった。
英語やスペイン語は達者なグロンドーナさんもフランス語は勉強中。それでも必死に説明した。ただ表情は極めて穏やかだ。「この墓には貴国の偉大なギター製作家が眠っている。彼らもギター製作家ではるばる日本からやってきた。尊敬するマエストロにパワーとイマジネーションを与えていただくために....」云々。しばしのやりとりの後、二人が握手した。そして私とも。ほっと胸をなでおろした次第。グロンドーナさんに英語でお礼を言った。
 
    
 左から 古弦楽器工房 、私のギターを弾くイザベルさんのお店のギタリスト 、ブーシェの墓前にて



 ■ 歩きましたぁ〜モンマルトル
 帰りの駅前のカフェ、パリ市内ではないがやはり屋外にテーブルを置いている。そこでビールで一息つく。店員さんに「灰皿を」というと「地面にどうぞ」だと。
 
 パリに戻ってモンマルトルのリベルト・プラナスさんのギター工房をめざす。彼については後で紹介する。
モンマルトルはパリの下町、自由を標榜する芸術家たちが棲んで発達したらしい。そして”最後の印象派画家・ロベール・ブーシェ”も住んだ。彼は五十路手前でギター作りに転向するが最後までモンマルトルに居続けた。狭い道路や路地の両脇には古いアパルトマンがぎっしりと隙間なくしかし整然と並んでいた。

 松村さんの先導で、ブーシェさんとよく散歩したよという通りを歩く。途中で何度か道を聞いた。親切そうに見えて「あさっての方向」を示してくれる輩もいた。モンマルトルの丘といわれるように結構な坂道が続く。足はもとより棒状態で肩にはギターケース、そんなとき「あれがブーシェさんの家や!」と松村さん。みんなの顔からいっせいに感嘆符が発せられる。グロンドーナさんもデジカメを向けた。

 ブーシェさん宅からさらに坂を登るとモンマルトルのシンボル「サクレクール」が眼前にそびえた。これは素晴らしい。なぜか庭にメリーゴーランドがある。残念ながら時間が遅くて中には入れなかったが、しばし眺めるには十分の美しさだった。ただこの界隈は油断禁物地帯でくれぐれも所持品と己(おのれ)を大事にすべし。

 もう7時もまわった。サクレクールを後にして本日のラスト、プラナスさんの工房へ。

   
 左から ブーシェの家 、サクレクール(手前はメリーゴーランド) 、 サクレクールの対面側



 ■ リベルト・プラナスさんの工房/交流会

 昨年5月茨城県八郷でのギター製作コンテストで審査員として来日されたリベルト・プラナスさんはモンマルトルにお住まいだった。自身ギター製作家でまた著名な奏者でもある。スペインの民族色満点の演奏はプラナスさんだけのものと思う。工房には何人かの若い人が弦楽器製作を習っていて、作りかけの作品が吊ってあった。ギター、バイオリン、リュート、チャランゴ・・・。我々のお目当ては修理中の初期のロベール・ブーシェ。それは極めてめずらしい3枚はぎのチェリー(自分には樺に見えたが)のモデルだった。ブーシェさんも最初は苦労したんだろう。

 工房見学の後はお待ちかねの交流会。プラナスさんご夫妻の他3名の若い生徒さんたちも参加した。こちらはグロンドーナさんと日本人6名、さらに別途パリに来られているギタリストの北口功さんもいっしょだ。
 シャンパンで乾杯したあとは奥様が昨日から準備された手作り料理をいただく。いずれもワインにピッタリのメニューが並ぶ。その中にどーんと鱒鮨が鎮座。紹介が遅れたがプラナスさんの奥様は日本人でトモコさんとおっしゃる(写真)。

 さて、生徒さんたちと私たちは楽器作りの話題で当然盛り上がった。共通言語は英語しかないのだがこの英語もお互いに相当怪しい。どちらも必死で説明するのだがなかなか通じない。そのやりとりを見ていると涙が出るほどおかしい。でも解かりあえたときは「やったァ」。何事にも真剣な福田君のパフォーマンスが秀逸だった。

 11時も過ぎて宴もたけなわというころ、松村さんが「丸山さん、ギターを持っておいでよ」と云った。それは極めて絶妙なタイミングだった。この一言で朝からゴルフコースを2ラウンドするほどケースをぶらさげて歩いてよかったと思うことが起きる。ひょっとするとブーシェさんの思し召しだったかもしれない。

 いそいそとギターを持ってきてケースから取り出す。するとここはギター関係者の集まり、場の空気がさっと変わった。まずプラナスさんが手にとってあらゆる方向からチェックを入れてくれた(写真)。そして一曲弾いてくださった。まず感動。
 そして北口功先生やあのステファノ・グロンドーナさんまで曲を通して弾いて下さったのだ。これは間違いなく大スクープ、すごいことが今起こっている!あわててビデオカメラを回した。よくぞカメラをバッグに入れてきたことよ。

 私のギターを皮切りに、福田君のギター、松本君のギターと続く。
ひとりのギタリストが複数のギターを弾くCDやコンサートはよくあるが、複数の人が複数のギターを弾く珍しいライブコンサートが行われた。3人の駆け出しのギター作家にとっては最高のひととき。日本からギターを連れてきてよかった。そしてこの場を見事に演出してくださった松村さんに感謝します。

 「私のギター、いかがでしたか?」なんてこちらからプロギタリストに聞くのはあまり感心しない事とされる。製作者本人が感じ取らなければならないことだ。
でも帰り道で北口先生が、「丸山さんのギターは、弾きこなしてやろうと思わせるね」みたいなことを言ってくれた。

 宿までは深夜のモンマルトルをみんなでウォーキングした。これが一番安全なのだと思いながら。



    
左から 修理中のブーシェギター 、 北口先生・トモコさん・私 、ギターをチェックするプラナスさん 、私のギターを弾くグロンドーナさんと北口さん


 ■ 国主催「ロベール・ブーシェ研究会」
 極めて内容の濃い初日だった。さてきょうは今回の主目的でもある表題の研究会。
会場はパリ市の北東部にある国立音楽博物館。このあたりはあの国立コンセールバトワール(フランス国立音楽院)も隣接する一帯で、楽器を持った学生も多く見かける。
また広大な公園地帯になっていて、まだ葉も花もつけていないがどこまでも続く並木もそれはそれで美しく本当に気持ちがいい所だ。

 思えば関空から昨夜までかなりハードだったが、今日は会場の中で一休みと内心ほくそえみながら臨んだ。
この音楽博物館は近代を通り越して前衛風というか無調音楽のようなデザイン、でも中はなかなかおしゃれな内装や調度品でフランスらしさを感じさせる。
 さて本日のプログラム、あたりまえだが演者も討論する人々もすべてフランス語だったので、その内容はかいもく解からなかったがパソコン+プロジェクターによるプレゼン形式なので画像を見ているとなんとなく理解できることもあった。めずらしい写真やBBCで放送されたというブーシェ氏の肉声録音も紹介されたりして驚かされた。

 解からないなりにも気合を入れて聞いたのは、現在フランスのギター製作界で頂点に君臨し世界的にも大人気のダニエル・フレドリッシュ氏の講演。ブーシェとの思い出話が中心だったらしいが、さすがに現役の製作家、微塵も年齢を感じさせない姿と語り口だった。フランス語には句読点がないのか思うほど一節が非常に長く息もよく続くなぁと妙な感心をした。その中でギター表面板に接着する力木のパターンとその作用についての音響解析のプレゼンは非常に興味深かった。大学との共同研究なのでひょっとしたら論文になっているかもしれない。アカデミックにそして出来る限り数値化してギターを作るというフレドリッシュ氏の方法−を垣間見ることが出来た。

 この研究会の目玉はなんといっても最後に行われた4台のブーシェギターによるコンサート。これには国境がないので心ゆくまで堪能できた。ソロ、デュオ、トリオ、カルテットと趣向を凝らして4人のギタリストが次々と登場して各ギターの音色を聴かせる。作者は同じでも材料も違えば製作年代も違うので4台のギターそれぞれ明確に個性を示した。そこで私が感じたのはいずれもパワフルさよりも優しさや繊細さ、さらにはエレガントさ。どの楽器も奏者の表現したいことをストレスなくどこまでも応えていた。
定番のアルベニスやグラナドスも楽しめたが、最後に演奏された地元ガブリエル・フォーレの”パヴァーヌ(ギター四重奏)”がこの場の空気と楽器にピッタリですごく印象に残った。このコンサートのもようは当局のホームページで紹介される予定だ。

 帰りはみんなでオペラ座前の中華料理店へ。料理はほんのりとフランス風の味付けもあったりして大変おいしかった。紹興酒に甘い干し梅というのもなかなかいけた。


    
左から 会場正面 、会場付近の様子 、会場内のピアノ型ショーケース(モデルは中村君) 、 講演風景 



 ■ ドビュッシーの家とエコール・ノルマル
 いよいよパリ観光がはじまる。まずはヴェルサイユ宮殿から。
最寄メトロのマルゼルブ駅に行く道中にちょっとしたスポットがある。まずはエコール・ノルマル。そう世界的に有名な私立の音楽学校。クラシックの殿堂と呼ばれることもある。サル・コルトーという名のアール・デコ様式のコンサートホールも併設する。通りから眺めるかぎりやっぱり隣家とツライチに並んでいて注意しないと見過ごすが、その校舎は国の重要文化財に指定されているらしい。サル・コルトーでは昨夜もコンサートが行われていた。

 エコール・ノルマルから一区画隔てた角が「クロード・ドビュッシーの家」。アパルトマンの1階(日本式にいえば2階)がそれである。史跡指定みたいな標識と立派な看板が掲げられてた。その看板には「ペレアスとメリザンドを作曲した」と刻印してあった。パリには他にも多くの大作曲家の家や墓がある。マルゼルブ通りをいく車を除けば、パリ市民はドビュッシーが生活していたころと何も景色は変えていないのだろう。


  
 左:エコール・ノルマル  右:ドビュッシーの家の前にかかっている看板



 ■ ヴェルサイユへはこうして行きます
 実は松村さんと同じブーシェ門下のジャンピエールさんの工房がヴェルサイユにあるのでお邪魔するついでに宮殿にも寄って行こうということで、工房のほうがプライオリティが高い。なお松村さんはグロンドーナさんと別の用事を済ませてから、彼といっしょにジャンピエールさん宅で我々と合流する予定。

 ヴェルサイユへはメトロからRER(エール・ウー・エール:郊外高速鉄道)に乗り換えていく。我々はアンヴァリッドという駅でRERに乗り換えることにした。メトロの切符は自販機で買えるが日本とは違って画面と対話していく方式、これが地元の人でも敬遠するほどややこしい。それよりも窓口で「カルネ」と言えば10枚の回数券を10ユーロちょっとで買える。これがお得で便利。RERにも乗れる。
 
 そしてアンヴァリッド駅、地上にあるナポレオンが眠るというアンヴァリッド(廃兵院と訳されるドーム型の建物)にはまた今度ということにして、そのままRERの改札を通ってホームに出た。もうすぐ電車が来るというとき、福田君が重要なことに気がついた。「このカルネ(切符)ではヴェルサイユに行けないみたいです!」「えっ?」

 ガイドブックをチェックするとヴェルサイユはパリ市外でなのでカルネの範囲外、切符を買いなおすことと書いてある。RERには切符の車内販売も駅の清算所もない。なので無賃乗車で多額の罰金となる。パリはこういうことには特に厳しい。外国人旅行者とて容赦はない。あやうく犯罪者になるところだった。
 なんとか切符売り場を探して、窓口のおねえさんに言われるまま「ヴェルサイユ宮殿入場券つき往復切符」を買った。この切符のおかげで、今日一日「ラッキー!」を連発することになる。

 ヴェルサイユへの電車はほとんど観光客だった。それも英語がよく聞こえてきた。その内容はイマイチわからなかったが、なぜかホッとしたような懐かしい気がした。

 ヴェルサイユ駅を降りて宮殿に向かう。その数百メートルのアプローチからきちんと作品になっている。もう少し季節が進めば両脇の街路樹(おそらくセイヨウトチノキ : マロニエ)に花が咲いて見事なんだろう。見上げると8割の青空に真っ白な雲がキラキラしている。

 これでもかという装飾の門をくぐってビデオを回す。パン&ズーム。そして最後に映し出されたものは「長蛇の列」。そうかここは年がら年中行列ができるところなんだ。少なくとも1時間コースかなと思っていると、メンバーも口々に、「これ、並ぶのぉ?」「オレは並ぶぞ」「・・・ここまで来ただけでもいいか....」とか何とか。

 よく見ると入り口がいろいろある。どうも長蛇の列は当日券を買って入る人のようだ。パリじゅうの美術館や名所をフリーで入場できるという「カルト ミュゼ」というパスを持っていると「お先にー」とすっと入れる入り口もある。さて我々のアンヴァリッド駅で買った「入場券付きの乗車券」ならどうか。ダメモトで「これで入れますか?」と聞いてみると、”Of course! ”。ラッキー、待ち時間ゼロで入場できた。

 何度かテレビで見た記憶と照合しながら順路にしたがって進む。どの部屋も当時の職人・芸樹家たちの見事な作品を鑑賞することができた。壁も天井もぎっしりと絵画で埋め尽くされ、大理石の柱や天井の回り縁までもれなく彫刻や装飾が施されている。自分が興味があった家具調度品も同じ様式だった。いくらフランスの王侯貴族とはいえこんな部屋でよく寝泊りが出来るものだと感心する。政治や外交上の理由もあったのだろうか。世俗的なものは何も存在せず全て神聖。断頭台に送られたマリー・アントワネットを想った。
 原野を切り拓いて宮殿が完成するまでのプロセスを順に描いた何枚かの絵が最も印象に残った。

 外に出ると宮殿にもまして前庭のすごさに驚かされる。2470ヘクタールという果てしない広さ(皇居は約140ヘクタール)。端は地平線だ。縦横に巡る運河の総延長も24Kmという。単に広いだけでなくきちんと管理された庭園なのである。多くの噴水や面白い建物も点在する。今はサイクリングができて、ボート遊びもできるという。小さな電車も走っていた。こんど来た時は絶対にサイクリング!!


   
 左から 私の後ろが庭園 、オーク材組木のフローリング(一辺約1m) 、 大理石の階段手摺りに鉄製の千切り



 ■ ジャンピエールさんのギター工房
 今日もよく歩く日だ。宮殿を後にしてジャンピエールさん宅に向かう。
途中でサンドイッチ屋さんに入ってお昼。直径40cm、高さ70cmぐらいの肉塊(羊みたい)を回転させてあぶり焼きしたものを、こそげ取ってパンに挟んでくれる。この量がハンパじゃない。パンの幅ほど肉がはみ出ている。さらにポテトフライをあふれんばかりにトレーに盛り上げてくれる。ウマかったが量が多すぎた。

 ジャンピエールさんは松村さんと同じブーシェ門下なのだが、プロ作家にはならずずっと公務員をされている。ちなみに奥様は医者で息子は検事だそうな。
お部屋には日本式の座卓が置かれているほか、書や奈良の水彩画などもあってなかなかの親日家でいらっしゃる。すでにグロンドーナさんも見えていて、さっそくジャンピエール氏所蔵のブーシェギターで「グラナドスのアンダルーサ」を演奏。まろやかな音色で且つきちんとした輪郭もある響きだった。彼の演奏をしばしば生で聴けるだけでもパリに来た値打ちがある。好きな曲なので胸にぐっとくるものがあった。

 そのあと下の工房へ案内される。ここからも感動の連続。
決して広くない工房。作業台の周辺では人が対向できないほど。でもギターを作るには十分な世界なんだと想う。
そして往年のロベール・ブーシェが実際に使っていたという道具や治具類を次々と見せてくれる。それらは市販品ではなくオリジナルだ。どれもこれも理にかなっていて驚かされる。今でも使えるものもある。「これはこうして使うんだよ」と英語で丁寧に説明してくれる。その英語の流暢さもさることながらジャンピエールさんの嬉々とした表情がなんとも印象的だった。氏はもっと説明したかったようだが、パリに戻って次の予定がある旨を告げる。ジャンピエールの姿を見ているとブーシェさんを思い出すよといった松村さんも昔を思い出しておられたようだ。

 最後にジャンピエール最新作の塗装前のギターを拝見した。それは非常に美しく作られていて、軽く叩いてサウンドホールに耳を向けると澄んだ残響が長く続いた。



    
左から グロンドーナさん 、 説明するジャンピエールさん 、 力木接着治具 、 刃物はマグネットで固定


 ■ 清水あずささんの教会コンサート
 ジャンピエールさん宅のある一帯は閑静な住宅街で、絵本に出てくるようなかわいい家が多くてデザインも多種多様だった。
さて、帰りはさすがにバスでヴェルサイユ駅へ。駅は観光客でごった返していた。みんな切符を買うのに並んでいるのだ。
くだんの「入場券付き往復切符」、ここでも活躍した。もちろん並ぶことなくすんなりと電車に乗り込むことが出来た。もし並んでいたら清水さんのコンサートに間に合わなかったかもしれない。

 清水あずささんもブーシェギターのオーナーだ。年代の古いギターなので指板部が歪んだりして多少弾きにくいそうなのだが、彼女はあえて手を入れずにそのまま使っている。
会場は町の小さな教会、ギターソロのコンサートとしてはほどよい大きさだ。整然と並べられた飴色の教会様式の長椅子(オーク)に腰掛ける。

 おしゃれなプログラムだった。
折しも日本では桜の季節、コンサートは「桜変奏曲」から始まる。そして、当地パリで活躍したドビュッシーの「ケークウォーク」で幕が閉じるまでの間、すべてバッハの曲を聞くことができた。確かな技術で力強く、また繊細に奏でられた音たち天井から降りそそぐようだった。

 終了後、清水さんも交えてみんなで中華レストランへということになった。そういえば昨日も中華だったけどまあいいか。ちょっとベトナム系かなという意見も聞きながら、昨日とは違うメニューをおいしくいただいた。



  
 左 : 教会内部
 右 : オークの長椅子(トレーを引き出したところ、肘掛部の透かしは十字架、後席者用に本などの収納付き)



 ■ パリの塗料屋さんでニスを買う
 パリ南東部にちょっとした木工の町がある。塗料屋さんも何軒かみかけた。
我々が松村さんに連れて行かれたのは「Specialites pour Ebenistes」というお店。木質用の塗料なら家の内外装用から家具、バイオリンやギター用まで何でもある。日本ではまず見かけない。塗料だけではなく英語で言うところの”Finishing(仕上げ工程)”用の道工具類も日本では買えない物なんかをいろいろ置いているので、いつもの血が騒ぐ。

 アルコール等の有機溶剤で調合したものは危険物なので飛行機ではご法度。なので固形のセラックやサンダラックなどの樹脂類を買う。セラックは日本より安かった。そのほか接着用のニカワや上等なミニ鬼目ヤスリ...etc。
 残念だったのは、いつも苦労するローズウッドとかの導管目止めが簡単に出来る特別なセラックニスを買えなかったこと。アルコールで調合してあったからだ。一応、配合成分を聞いたのでまたトライしてみよう。


 
 塗料屋さん


 ■ ルーブルは大衆の美術館
 紙袋いっぱい買ったニス類は一旦ホテルに持って帰って、さあいよいよルーブル美術館へくりだす。

 メトロでオペラ駅へ。せっかくなのでそこからルーブルまで歩いた。ヴェルサイユよりはシンプルめのデザインだが、こちらのほうが大きくて長〜い。中庭にあるガラス張りピラミッドから入る。ウイークデーの午後、ほとんど待ち時間なし入館できた。帰りの時刻と待ち合わせ場所を決めてそれぞれ別行動とした。

 日本語の館内地図をたよりにまずはモナリザをめざした。教科書やテレビで見た絵画が次々と目の前に現れる。それらは全てむき出しで壁にかけてある。柵もない。触ろうと思えば触れるし不謹慎だがイタズラも可能だ。この状態でずっと問題がないということに驚く。このへんがフランス人のよいところなのかも。

 モナリザに辿り着くまで腹いっぱいになった。作品はどれもこれも有名で素晴らしいのだろうが、むちゃくちゃ多すぎる。この美術館は目的を絞ってそれ以外は全く無視しないと何を見に来たのかわからなくなる。極端にいえば一生かけて見に来てもまだ足りないかも知れない。
 
 モナリザだけはガラスケースの中に納まっていた。実物を見ると”生身の人”を感じた。これが目の前にあるという現実が信じられない。彼女はいったい何人の人に見つめられたのだろう。ガラスケースの中は独立して空調されているそうだ。そういえば”ナポレオンの戴冠式”も”民衆を導くジャンヌダルク”もむき出しではあるが、絵の表面は何か分厚いものでコーティングされていたように思う。

 あとはもっぱら家具や工芸品の展示を見て歩いた。竪琴みたいな背もたれと丸くて細い脚と貫きがエレガントな椅子がなかなか良かった。マホガニーやローズウッドを贅沢に使ったクラヴィーア(ピアノの前身)も見事な作品だった。リュートやバロックギターが描かれている絵ばかり見ていたが、今回はルーベンスの絵に最もすごさを感じた。

 
  セーヌ河とルーブル美術館



 ■ 凱旋門は遠くて大きかった
 閉館ぎりぎりまでいたルーブルを後にしてそのまま凱旋門へ。
広い公園の広いみちをいく。すでに正面に凱旋門がこちらを向いている。あそこまで数Kmあるはずなのにもう大きさを感じる。
巨大な忠魂碑みたいなのがビューッと立っているコンコルド広場を抜けるとシャンゼリゼ通り。左手にアンヴァリッドのドームも見える。
マロニエがまだ裸なのが残念だが十分雰囲気はある。若者と外人が多い通りだ。ダニエル・ビダルのあの歌を思い出す。そういえば南沙織もカバーしてたなあと自分に話す。

 「歩いていくことに価値があるんだよね」と3人で言い合いながらも足取りは決して軽くない。ちょうどカフェの前を通りかかったので迷わず中へ。ここはシャンゼリゼ、テラスはちと高そうなので中のテーブルで生ビール。こんなときのビールはガソリンの役目もして格別だ。期待どおり体中にしみわたった。しかし2杯目は辛抱して目的地に向かった。

 高さも横幅もほぼ50mという凱旋門はやはり大きかった。今調べるとナポレオンの提案で1806年から30年かけて造られたそうな。8ユーロ払って屋上へ。でもエレベータではなく螺旋階段で垂直に登る。下を見ても上を見ても目が回った。それより脚がもうアカン。福田君の「これを登ればいいギターが作れるんです」というのも若干効いて遂に登頂。

 そこからは鳥瞰図を見るようにパリ市内が見渡せた。エッフェル塔はしょうがないとしても、唯一円柱の高層ビルが1つだけここより高いのが残念。12本あるという道路が真下で交わる。京都や奈良の条里制に慣れている自分にはこれに代表される欧州の放射道路の意味が理解しがたい。
 ヴェルサイユの方向にあるほんのちょっとの膨らみぐらいは無視すると360度地平線なので、地表からすぐに雲が浮かんでいるように見える。
 
 モンマルトルのこんもりとした丘とそこにある白一色の家波の過密さが、その真ん中にあるたまねぎの様なサクレクールとともに何故か後光が差しているようでいちばん美しく印象に残った。

 
NEW
 
この日撮影した凱旋門屋上からのVTRをアップしました(2006.8.16)
 モンマルトルの大ズームもあります。 こちらです


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