☆ マヌエル・デ・ファリャの家
ファリャが18年間暮らしたという家がアルハンブラへの坂道を少しそれた明るい通りにありました。
眼下にグラナダの街がひろがり、さらにその向こうまで見渡せる場所でした。
”ドビュッシーの墓に捧げる賛歌” という有名なギター曲が書かれたところです。
ドビュッシーやラヴェル、デュカスまた詩人のロルカとも親交が深かったとのことで、それをうかがわせる多くの遺品がありました。
その中には葛飾北斎や歌麿の版画もありました。
ベッドやピアノ、机、消毒器具、灰皿、書籍・・・・・・沢山の絵画、写真、案内人の男性が丁寧に説明してくれます。(英語)
あたかも先月ぐらいまで実際に住んでいたような錯覚を覚えたのは、元々あった場所を動かすことなく生々しい状態で
すべての品物が残されていたからです。でも、70年以上経っているのです。
ものすごく几帳面な人だったことがすぐに見て取れましたし、案内人もそれを強調していました。
それは、この家の隣にある博物館で見た自筆譜でも感じました。
代表作 「恋は魔術師」と「三角帽子」、家に帰ったらあらためて聴いてみようと思いました。
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”この家で Manuel de Falla が暮らした”
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この青い扉の家です
この左側には階段があって
ちょっとしたお庭に出られます
その庭から街を眺めるドビュッシーの
写真も展示されていました |
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☆ 巨大空間のカテドラル
セビーリャのあの大聖堂に入れなかったので、ここのカテドラルに対しては気合が入っていた。
別段、気合を入れずとも入れるとお思いであろうが、どっこいそうではなかった。
チケットを買うまではよかったが、さて入ろうとすると、守衛らしきお兄さんが 「ソノ ギター ダメ !」
ということでシャットアウトを食らう。
ホテルは既にチェックアウトしているので、肩にギターケースを背負っていたのだ。
ああ、まただめか。とがっかりしていると。F君が実に素晴らしい提案を。
「僕が、ギターを見張っておきますのでどうぞ見てきてください」
「good idea !」 かくして入ることができた。
中に入ったとたん、腰を抜かすほど驚いた。
「広い!」 そして 「高い!」
なんと大きな空間なんだと。中にあるものもそれに比例して大きい。
つぶさに見れば1時間はかかるだろう。
でも外ではF君が暑い中・・・と思い、適当に切り上げて退場(退堂?)した。
立派なパイプオルガンと、何メートルもある大きな木のチェスト(栃の木にみえた)が印象的だった。
その感動の内容をあえてF君に伝えないで、「こんどは僕が見張っておくから」と替わってあげた。
そしてしばらくしてF君が出てきた。その顔を見ればすぐにわかった。全く同じことに感動したことが。
ここでこれなら、セビーリャのカテドラルはさぞかし・・・
これでは大きさちょっとわかりませんが
☆ アンダルシアって・・・
いまのグラナダは一見他のヨーロッパの都市のような面持ちに見えるが、根底にあるのはやはりアラブ・イスラムの文化である。
それは代表格のアルハンブラを除いても、至るところで直に触れることができる。人々の生活の中で普通に存在しているのである。
それに忘れてはならないのがジプシーの存在。
アルバイシン、サクロモンテの洞穴・・・
こういうのを肌で感じられるのがグラナダ。旅の情緒とはこんなものなのかも知れない。
セビーリャやヘレス・デ・フロンテーラもしかりだが、
大部分は荒涼とした乾燥原野のなかで、人が住めそうなところを見つけてはしっかりと町をつくって暮らす人々。
その町をつくったのは前記の人々ではないだろうか。と勝手に思った。
スペインは中南米を駆逐したが、このアンダルシア地方もある意味でそれと同じなのかもしれない。
シグエンサで感じたギター作りへのイメージとはまた異質な何かをこの地で得た。
それらを相反させるか相乗させるか、これからの仕事を左右するだろう。
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