− さあ、旅はいよいよ最終地バルセロナに向かいます −

 夜行寝台列車で12時間。途中で地中海も見えましたが 

何十年か前の上野−八戸以来の寝台車、しかもスペインでというので楽しみのひとつでした。

グラナダ駅を夜の九時過ぎに発車して、バルセロナ到着が朝の九時です。
二等車なのでシャワーも食事も付いていませんが、ギターケース2台置いてもまだ余裕がありそうな広さでした。
もちろん2段ベッドです。なお申し訳け程度に簡単な洗面台は備えてありました。

発車して5分も経つと窓の外は完全に漆黒の世界となりました。
隣の部屋のラジオの音がよく聞こえます。なので高歌放吟は禁物です。

カード式のキーと内側からのラッチ。セキュリティは万全と思っていたら、乗務員でない人がいきなりドアを開けたので驚きました。
清掃用具を手にした彼女は、「ペルドン ペルドン ペルドン・・・(ごめんなさい)」と10回ほど繰り返していました。
マスターキーを使ったようです。


2階の住人はスヤスヤとやさしい寝息をたてています。
こちらは予想どおりあんまり寝付けませんでしたが、じっとしていれば疲れは取れるだろうと気にしませんでした。

列車は内陸部を走ってからバレンシア地方に入ってあとは海沿いをいきます。
夜が明けたら地中海を見よう!

気がついたら窓の外が白んじてきたので通路側に出てみると・・・海が広がっていました。
アンダルシアの地中海と違ってこの辺では水平線までスッキリとしています。
目を凝らすと、大きな船やヨットがいくつも見えました。
ちょっとした入り江にはキャンプを張る人々や、もう泳いでいる人もいました。

バルセロナ近郊にさしかかると至る所にこれでもかと落書き。沿線の壁という壁、すれ違う電車にも。これが延々と終点まで続きました。
そのデザインというか作風というか、日本のものとそっくりなのが興味深かったです。

ビュッフェで腹ごしらえもしたし、さあバルセロナが楽しみです。

寝ている間に目的地へ、さらにはホテル代も含まれているという便利な12時間の旅は終わりました。
でも次回は飛行機にしようと思いました。



 まずはサグラダファミリアでしょう 


夜行で徹夜したようなものなのでひどく眠いはずなんだが、妙に目が冴えてる。まずはホテルじゃなかったアパートに向かおう。

リセウというメトロの駅を出るとそこはバルセロナの河原町通りみたいなランプラス通り。巨大な歩行者専用道の両脇が車道でそのまた外にも歩道がある。
その通りを5分ほど下るとレイアール広場。宿はその広場から伸びる路地のひとつにあった。

まだ朝の10時前、さすがに早いので広場のカフェでゆっくり休憩しながら、おもむろに宿に電話してみる。
若い女性の声、『今、お部屋の準備中なの。13時に来てちょうだい。でも荷物は預かってあげるわ』みたいなことをいうので、
『ありがとう。それじゃ今すぐ行く。われわれはレイアール広場にいる』


古ぼけたアパートの2階。2部屋あって広いが、巨大なダブルベッドがひとつしかない。『これで?』、『・・・・・』。
でもソファーがベッドに化けるタイプのものだったのでやれやれ。


荷物を預けてまず向かったのは、聖家族教会(サグラダ ファミリア)。
メトロを上がって振り向くと、「ひぇ〜」でかい。でもバロックの大カテドラルのように威容を誇示する感じはなく、むしろその逆。
塔と同じぐらい目立つ何本ものクレーンがイマイチだったが、これはしょうがない。

昔建てた部分と最近のものは見るとすぐにわかる。まず色が違うし彫刻やほうぼうのデザインなども違うからだ。
これに何十年も情熱を燃やしている日本の彫刻家のドキュメントをTVでみたことがあって、彼の作品を探してみたがよくわからなかった。

ガウディは建築家。
有名な建築家になるほど絵に描いた餅を本当に現物にしてしまうものだと改めて感心した。
でも中には「悪乗りも甚だしい!」と思う人もいるのではないやろか。



  

左の写真はメトロを出たところ、右はその逆サイド。
ちょっと前までは歩いて上がれたそうですが、極めて危ないらしく今はダメのようです。そのかわりエレベータで上がれます。
バカンス属の行列、並んでいると日が暮れそうなのであっさりやめました。




 バルセロナはちょっと雰囲気が違います 
 それにしても人が多いこと  でもここだけは・・・



これまで回ってきたアンダルシアの濃いイスラム色は、ここバルセロナには全く見当たらない。あるとすればタブラオのフラメンコぐらいかも。
かといってマドリッドとも違う。ここはなにかとクールな印象がする。そして言葉が違う。方言ではなくて言語として独立している。
バルセロナの言葉(カタラン)はちょっとフランス語のにおいがした。

幅50mはあろうかという歩行者天国のランプラス通りは、何Kmも人で埋め尽くされている。甲子園のライトスタンドが延々と続いている状態。
ただでさえ歩きにくいのに、道の真ん中にバルやカフェの出店やら土産屋、キオスクに大道芸人のスペースまで、ついでにメトロの出入り口も。
ほとんどがバカンス中の観光客と思われた。まあそういう自分も one of them なので文句はいうまい。

われわれのアパートから20mのレイアール広場はランプラス通り沿いにあるせいか、夜な夜な巨大な星空酒場となる。
真夜中を過ぎても人々は一向に腰を浮かそうとしない。老いも若きも、男も女も。
そのころ広場に通じるたくさんの路地は、酔っぱらいの「用足し場」となるほかに、薬物の売人やスリの仕事場と化す。
ある晩、アパートのテラスから売人の仕事ぶりを観察することができた。
取引がおわるとなぜか握手したかと思うと、お互い背を向けて一目散に駆け出していった。

翌朝、日が昇るとクリーン車の出番だ。消防のホースみたいなもので、おびただしいゴミや汚物をものの見事に一掃。
これは他の都市でも見た光景で、国をあげての朝の日課らしい(この時期だけ?)。


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さて、ホース車で清められた広場をあとに向かったのは近くのカテドラル。
朝から大通りは人や車でごったがえしているが、下町の路地は人が少なくて、くねくねとしていても歩きやすい。古そうな佇まいもなかなかである。
市庁舎を過ぎてまもなくパイプオルガンの音が漏れてきた。
入り口に、「タンクトップや短パンはダメです」と絵と文字で書いてある。もっともだ。

ちょうどミサの最中だった。
ルネッサンス絵画で見る衣装と首巻を身に着けた位の高そうな方の話、そしてそれに続くコラールというルーティーン。
きっと営々何百年も繰り返されてきたのだろう。そのはるか昔の人々のことをふと想像してみたりした。

− 祈り 願い 救い ここは思いを天にとどけるところ −

信者ではないが心が涼しくなるのがわかった。
再びパイプオルガンがはじまるまで座っていたかった。でも次の目的もあるのでそうもいかず席を立つ。

外に出ると、「この喧騒は世俗の権化やな」と思いつつタバコを出す自分がいた。



 
アパートのテラスにて
お向かいの建物はこちらに負けないほど古くて落書きだらけでした
この下の路地で売人が・・・
アーチの向こうはレイアール広場です




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