since 2004.12.12

仕事に関するよもやま話や、日々感じたこなどを記録することにしました。

7/27(Thu)
晴れ
<このたび>

「随&想」コーナーは、ブログのほうに移行してみました。
コメントなどありましたらどしどし書き込んでください。

そのブログはこちらです。

7/23(Sun)
<Tenor Saxophone>

 昨日は久々のツユの晴れ間だったので、これを逃してはとテーブルとイス4脚の塗装をした。
オスモオイルを調合して色合わせをして、いつものようにウエスで摺りこむ。たっぷり一日かかった。
 もちろんこれで終わりではない。乾いてから軽くサンディングしてもう一回摺りこむ予定だ。

 さてこのほど念願のテナーサックスを手にすることができた。
いつもお世話になっているピアノのK先生がむかし吹いておられたものだが、今は吹くこともないというので幸運にもお貸しいただいた。仏セルマーのMarkYという往年の名器、わがやにあるアルトサックスのうちの1台と兄弟モデルだ。

 アルトサックスの優雅で色っぽい音色が好きでこれまでずっとやってきたが、ここにきて、潤いがあって浪々と男らしいテナーの声も欲しくなってきたので本当に嬉しかった。ちょくちょく「お呼ばれ」とかがあるので練習して今度はぜひテナーサックスでも演ってみたい。

 【参考】
 セルマー製のすべてのサックスにはシリアルナンバーが刻印されている。この番号はサックスの種類によらずユニークなのでこれで製造年月までわかるという。 → こちら
そこでちょっと誕生年を調べてみた。

Alto    Mark Y  233378 1974年
Alto    Super Action/80 Serie UGP  535386 1997年
Tenor   MarkY  173491  1969年
注)なぜか233378はMarkZの範疇となっている


7/15(Sat)
晴れ
猛暑とイスの座面

 イス4脚の進捗は予定どおりだ。唯一座面の加工だけを残して他のバーツの加工は済んだ。
座面は例によって座りやすいようにというか見映えもあって一段彫り下げるのだが、今回は4枚もあるのでかなりハード。

 ルーターやトリマーでラフに彫っているうちは木クズにまみれる程度で済むが、手鉋やスクレーパに持ち替えたとたんに気も遣うがそれ以上に体力を使う。しっかり腰を入れて指先はロック状態。すぐにマメやタコができる。
 しかもこの暑さ。材料に汗がしたたり落ちるのでタオル鉢巻。

 そのいでたちで今日も鉋仕事をしたが、さすがに4時にはまいってしまって「今日はこれでオシマイ」とシャワーに直行。ちなみにシャワーの熱源は太陽熱なので、こちらのほうは「我が世の夏」とばかりこれでもかと熱湯を供給してくれる。

 さてその座面をどう仕上げるか。
これまでならノーマルにツルツルにするのだが、ある展示会で丸ノミとかの彫り跡がのこっている座面の表情と実際の座り心地がなかなか良かった印象があるので、今回はちょっと悩んでいる。
 
 ルーター加工してから、面を出すために四方反り鉋で横ずりしてみるとちょうどその感じがでてきた。均さずにこのままいこうかな・・・って。ただこの場合それなりのセンスが要りそうで、感じを出すためにはツルツルに仕上げるよりも難しそうな気もする。


7/11(Tue)
くもり/晴れ
運命

 太陽が顔を出すとさすがに暑い。今日の工房の最高気温は35℃。別に目まいをするほどでもないし、作ってるのがギターではなくてイスなのでそれほど気を遣うこともない。工房にはエアコンもあるがこれぐらいでは不要。夏とはこうしたものだ。

 
 午後のFM放送、今日はベートーベンのハ短調の交響曲(五番)だった。ミュンヘンでのライブ録音ということだったが、こんな重厚な「運命」はこれまで聞いたことがない。質実剛健ともいうべきか。うっかり演奏者を聞き逃した。明朝の再放送で確認しよう。

 この曲の好きなところ ・・・ 第3楽章の終わりに暗〜いトンネルに入るところ。でもこのトンネルは地獄に通じるのではなくその全く逆。それゆえに暗くて重い和声とリズムの中にもどこかなんとなくエネルギーというか今後へのポテンシャルを感じさせる。この辺の絵の書き方がコンダクターの腕の見せどころ。
 
 長かったトンネルもようやく出口へ。あたりも徐々に明るくなってくる。そしてもう幾筋もの光線が差し込んできている。そして・・・・ トンネルを出ると何があるのだろうか? 幾多の苦難を経てきた者こそ涙できる光明があるはずだ、と信じて疑わせない3楽章の終わり4小節。

 トンネルの出口がすなわち4楽章の始まり。これ以上は創り得ないと思わせるトランペットの輝かしいファンファーレ。あのトンネルをくぐってきたからこそだ。
 今日の演奏は、せっかくのこの感慨を心ゆくまでという意図か、すごくゆったりとしたテンポで演奏された。

  世俗ではあっても国や地域の文化・歴史・風土・人種などは眼下はるかに超越したところにある普遍さこそ真の藝術だと思う。


 
7/5(Wed)
曇り時々雨
ミズナラ

 わが工房ではこの大きさで精いっぱいという180cm超のテーブル(下蘭の図)の組み立てが終わった。塗装はあとでまとめて行なうのでひとまず家の中へ。

 そのテーブルとセットになるイス4l脚の製作にはいった。今回はめずらしく「納期」を示されている。
すべてのパーツの木取りは終わったのでこのまま順調に行けば問題ないが、番狂わせやミスがあるとちょっと危ない工程ではある。

 それにしてもミズナラという材料、欧州では「木の王様(厳密にはオーク材だが)」というだけあって少々値は張るが本当にいい材料だと思う。やはり質感や触感がいい。今回はテーブルもイスも柾目材のみを使っているのだが、ナラは柾目でもいろんな表情を楽しませてくれる。例の「虎符」という独特の杢も拝める。さらに何にも増して強くて丈夫だ。なのでイスの部材も細めのデザインが可能。そしていかなる塗装でも映えるというもうれしい。

 ミズナラの太〜い原木は自分にはほとんど入手不可能だ。例えば柾目30cm幅だと70cm以上の直径が必要。年数にすると2百歳クラス以上だろう。檜や杉のように大規模に植林をしているという話も聞かない。
 北海道産のミズナラは世界の良材として有名だがもはや過去の話となりつつある。いま使っているのはロシア産の材。結構目が詰まっていてなかなかどうして美しく堂々たる材料だ。

 数え切れないほどの葉と花と実をつけながら長年機嫌よく生きてきたであろう樹木、なんの因果かバサっと伐られてわが工房の材料置き場へ・・・・。

 もちろんミズナラだけではない、タモもアッシュもアルダーもクルミやカエデも・・・・・  誠心誠意、大切に有効に使わせていただきます。ありがとう。


 
6/19(Mon)
晴れ

製作予定のテーブルセット
クリックしてみて下さい
大物が続きます

 5月よりむしろ感じのいい今年の6月、ツユとはいえメリハリがあるので気持ちがいい。
昨日はなんと32年ぶりにサックスのアンサンブルに参加した。学生のときいっしょにやった先輩の間に挟まれてものすごく気持ちが良かった。次の日曜日に友人の結婚パーティーで吹くことになっているので、ちょうどいい音出し練習にもなった。
 
 数ヶ月前に注文を頂いていたチェストとキャビネットのセットがようやく塗装段階になったので、依頼主と打ち合わせた。
高さ1mで2つあわせると幅1800mm以上ある。ナラの柾目材なので何を塗ってもサマにはなるが、ごく薄いオーク色ということに決定。そしてツヤ無し仕上げ。明るくて渋くて上品なイメージかな。
 
 塗料はオスモオイル。これを適宜調合すれば色合せは可能だ。問題はツヤ無し仕上げ。ツヤ有りなら得意中の得意なのだが、今回はサンディングの具合で調整することになる。(完成すればアップします)

 さて、これが終わると次は900×1800のテーブルと椅子のセット(左の図)、さらに2400mm幅のベンチと続く。
この夏はかなりの重労働となる。そのぶんビールが旨かろう。

6/10(Sat)
晴れ
コダワリに拘る

 辞書によれば「こだわる」とは、どうでもよいことを必要以上に気にすることとある。つまりイジイジとみっともなくていっこうに前へ進まない状態をいう。漢語でいえば拘泥。
 しかし近年はいい意味で使われることのほうが多い。辞書にもちゃんとそのことは書いてある。

 言葉はけっこう新陳代謝が激しい。時としてまるで違った意味に変化することも多々ある。その変化に要する期間は短くて、人が生きている間で十分なので、「最近の日本語はおかしい」というのは誰でもある年代以上になると感じること。きっと未来永劫続くと思われる。このことは「最近の若者ときたら・・・」にちょっと似ている。
 そういえば「あしたお邪魔しても大丈夫?」に対して「ぜんぜんOKだよ」という言い方は自分たちが若い頃に使いだしたような気がする。

 こうした言葉の変化を素直に受け入れるタイプ(あるいは率先するタイプ)と、頑として「日本語の腐敗だ」とかいって新聞に投書するタイプに分かれる。

 自分はどちらかといえば前者かも知れない。しかし冒頭のコダワリという言葉をいい意味で使うのだけはどうも納得がいかない。例えば「丸山さんのギター作りへのコダワリは?」と聞かれたら、「何かに拘っていたらいいギターは出来っこありません」と答えるだろう。これが私のしょうもないコダワリ。


6/5
晴れ
作品 vs 商品

 ある木工作家のHPに、お客さんの目線で自分の作品を見て評価できないとプロとしてやっていけない。その目線は木工技術より100倍難しいと。そのココロは、ひとりよがり、自己満足ではダメということ。

 同感だなあ、と普通に思った。
が、いやちょっと待てよ。いやしくもモノ作を志すもの本当にそれでいいのか。でも一方で、そっぽを向かれるようなものを作っていたのでは職人として失格だとも思ったり。

 自分の中で議論するがまとまらない。ゴタクをいうのはそれでメシが喰えるようになってからにしようねという声、メシよりも作品を究めるのが絶対に先だヨという虫もいれば、そもそもそんな議論は十年早いというヤツもいる。

 商品と作品。職人と作家。私はそのどちらも間違いなくオモシロイ世界だと思っている。
自分の作品にお客さんのほうからついてくるのはもちろん理想だが、自分をころしてお客さんの希望に如何に応えていくかというのもちょっとシュールでカッココいい。


5/24
晴れ
アンチテーゼ

 なにげなくMSのサイトに行ってみたら新しいエクスプローラがあったので早速ダウンロードしてみた。
デザインも変わってセキュリティー機能もすごく充実していた。しかし、恐ろしく重い!!!!!!!!
自分の4年前のノートパソコンはセレロンの800Mhzで主記憶も384MBしかない。これに対してそのブラウザは完全に不釣合いだった。

 ネット閲覧も必要不可欠な仕事だという大儀のもと、さっそく買い替えも視野に入れて最近のノートパソコンを調べだした。
しかし途中でバカらしくなってきた。たかがブラウザでこんな重いソフトを使わせる魂胆がどうやら見えてきたからだ。

 とたんに買い替えの気分は萎えた。そのかわり思いっきり軽いブラウザを探すことにした。
案の定わんさとあった。今まで自分が知らなかっただけの話し。とりあえず、Donut Q という軽さが売りのフリーソフトを試してみると、さすがにサクサク動く。やっぱりこれでなくっちゃ。

 CPU速度と膨大なメモリを前提とした(それに甘んじた or まるで工夫のない or よく言えばハードウエアの発展を促す)アプリケーションソフトもわからないではないが、おそらく世界で最も使用頻度の高いブラウザのソフトでそれをやる姿勢に何かキナ臭いものを感じる。


5/18(Thu)
くもり
風薫らない

 一年中で最も好きな月は? 私はダントツに5月でそれも上旬が好きなんだが、今年はちょっとおかしい。どうもあの季節外れの黄砂から変なかんじだ。天気もおかしいが、体のほうも風邪や花粉症でもないのになぜか未だにクシャミが止まらない。

 風薫る5月はどこへ行ったのか。例年ならシイやナラの花などで山々が若々しい黄緑に急変するのが印象的なんだがそれが感じられない。

 一週間もあれば季節の移り変わりを肌身で感じることができる田舎に住んでいて、それが自慢でもあり楽しみでもあるのだが、今年は3月の次に6月が来ているような気がする。

 あと2週間弱、今からでも遅くはないので5月の太陽と空気を。


5/15(Mon)
晴れ
NHK奈良局さん

 「めっちゃ慣れてはるので」と言われてもやはり緊張はしていましたよ。

 TVの収録はこれで3回目である。夕方のニュース情報番組「ならナビ」というNHKローカルUHF局。ちなみに前回の奈良テレビもそうだがこの局も我家では受信不能。

 「徹底的に技(わざ)を重視します」という若いディレクター氏のコンセプト。クラシックギター製作という一般的には非日常的なネタなのでこちらもその時間帯の視聴者を意識して対応しようとは思ったが、途中からは調子にのってどんどんマニアックな方向に向かっていったような気がする。

 やはりギターを演奏するシーンもあった。当然ながら実力以上のものは出せるはずもなく、やっぱり習いに行こうという思いが残った。
 キューが出てから自分で勝手にしゃべる場面がけっこう多かったので、昔会社でしょっちゅうやったプレゼンを思い出して懐かしい気分ではあった。

 大ニュースとかがあってキャンセルにならなければ、オン・エアーは水曜日(17日)の18:10〜の予定。
NHKの奈良U局が受信できる地域て、且つそれがチューナーにセットされていて、しかも番組を視聴された方々、よろしければご感想などお寄せくだされば幸いです。


5/6(Sat)
晴れ
チェスト

 この連休中はたくさんのお客さんがみえた。目的はギターだったり、家具だったり、工房だったりいろいろ。まだ「テレビ見ました」という人や「HP見て...」とか。なかにはその場で買ってくれた人もいた。ありがとうございました。

 工房はすっかり家具モード。まずはミズナラのチェスト。手押しや自動鉋盤とテーブルソーの刃を交換して感じをみる。ミズナラ材は念入りに雑巾でホコリを拭う。刃によくないからだ。仕上がりで30mm厚、さすがに重い。マキタの自動鉋盤(道具コーナー参照)はどうしても鼻落ちが出る。これを改善したらノーベル賞ものだ。でもパワーがあるので仕上がり直前までこれで削る。最後はDELTAのポータブルプレーナー。これは機構的にほとんど鼻落ちしないので重宝する。

 厚みが揃ったらUSAリョービのテーブルソー(BT-3100)で幅決めをする。本当は200Vの昇降盤が欲しいのだが、当面これでやるしかない。1500Wでも非力さゆえに怖い感じがあるので刃は常に切れるものを使うようにしている。

 チェストの次はそれとお揃いのキャビネット、さらに食卓セット、ロングベンチ、イージーチェアー・・・と続く。暑い夏もこれで楽しめそうだ。そして涼しくなったらまたギターモードにスイッチ。


4/24(Mon)
晴れ
ドイツ

 その昔学生のころに習ったドイツ語、まさか実際に使うときが来るとは思わなかった。
外国語を発する羞恥心はもうすでにパリである程度払拭されているので、本を見ながらでもドイツ語を使ってみるのが面白かった。

 ミュンヘン空港からニュルンベルグまでもっぱら電車の旅。パリはどちらかというと白人でもラテン系の顔が多かったが、こちらはちょっいと違った。ゲルマン民族というのかな。日本人とは図体の大きさといい似ても似つかないが、なんていうか表情や眼差しには共通点を感じた。ある種の純朴さまで含めて。

 なぜだろう。生活の仕方が似ているのかな。なんとなく親近感が湧く。
日本の新幹線のドイツ版ともいえるICEにも乗った。ほとんどがビジネスマンで多くの人がビール瓶やワイン片手に経済誌なんかを読んでいる。日本と似た光景。

 そういえば普通電車の車内アナウンスも日本と同じ情報量で、なおかつ英語まで入る。車内もきれいだ。ICEなんかは、いざという時の為に窓ガラスを割るハンマーも具備している。さらにそのハンマーをたたく位置まで示されている。 

 自由に勝手にアートできる雰囲気満点だがちょっと排他的でファンキーな街パリ、かたや日本よりもきっちりしていそうで謹厳実直、一見親しみやすそうなイメージのこの地の人々。きっと得意分野が違うのだろう。


4/10(Mon)
くもり
パリ

 10日間の仏独訪問から無事に帰国。「無事に」ということが今回の一番の目標だったかも知れない。

 ツアーやパック旅行ではなく自前の旅行。また観光よりは出張という色あいが濃かった。
大都市で人種の坩堝(るつぼ)のパリとドイツの小都市を比較するのもおかしいが、人も景色も両者は全く雰囲気が違っていた。地続きとはいえヨーロッパ諸国には明確な個性がありそうだ。

 まずはパリについて。

 パリ市内は寺院など特殊な建造物を除けばあとは見事に石かコンクリート造りのアパート建築(アパルトマン)で構成されている。一戸建て住居はない。通りから見ると民家もホテルも商店も病院も学校もすべて同一平面で並んでいる。そして丁寧にも建物間の隙間もふさがれていてるので、次の角までフラッシュサーフェイスのまま延々と続く。そういえば街路樹も少なく、木といえばアパート入り口のオークのドア程度だ。電柱は皆無で高架道路もない。鉄道もほとんど地上に出ていない。

 最初はまさにフランス映画の中にいるような気がした。しかし帰る頃にはその頑固な画一感にあきれ果てた。郊外に出るとその反動か緑が多くて建物も自由にレイアウトされている。パリ市民はここで心の潤いを得ているのだろう。

 スリやひったくりが有名な街。我々はもちろんだが、よく見るとパリ市民もほとんどバッグをタスキがけにして体の前に下げているし、出来る限り恐い顔をしてメトロに乗っていた。メトロといえば車内アナウンスのある車両はまれで、ホームに駅員はいない。すべてのドアの開閉は手動。ドアの落書き、消えたままの照明、エスカレーターはどの駅も判で押したようにギシギシキガタガタ。

 他人に甘えず自分のことは自分でやるのがあたりまえ。それゆえか自己主張の強い人たちが多いことも今回わかった。しかし余計なことだが労働時間が極端に短か過ぎないか。

 ヴェルサイユやルーブル等々の名所の感想は別コーナーに記載するのでここでは省略するが、それらが立派であればあるほどその時代の市民の暮らし向きが気になった。

 そんなパリなのだがなぜか「もういちど行って長く滞在してみたい」と願う不思議な魅力があった。

 次回はドイツ。


3/29(Wed)
小雨


いよいよ明日は

 インディアンローズのギターもほぼ完成して試弾した。なかなかいいようだ。まとまっているしローズらしい甘さも感じる。横浜のI様、来月発送しますのでどうぞご期待くださいませ。
 材料が豊富なローズでもそれなりに鳴るギターが作れたというのがうれしい。このモデルをリファレンスとして、今後ローズを使っていろいろと研究なり冒険をしたくなった。

 さて明日はいよいよ出国だ。
ただいまパリでは学生たちがフランス革命をしているようだ。
6泊もするモンマルトル界隈はただでさえ治安がイマイチと聞くし、交通機関のストもあるようでホンマに大丈夫かいなと思う。

 帰ってから、なかなか珍しくて面白い経験だったよと言えるように、冗談抜きで気をつけて「行ってきまあ〜す」。

3/24(Fri)
晴れ
ちょっとホッとしました

 正月明けに作りはじめた2台のギター、花の便りが届く頃には完成するだろうという予定どおり、やっと弦を張ることができた。

 板になって20年以上自然乾燥させた細かい目の通ったドイツ松(表面板材)とブラジリアンローズウッド(裏・横板材)。これで鳴らなかったらよほど設計がまずいか腕(耳も)が悪いとしか言いようがないぞと自分の中の自分にプレッシャーをかけながら作ってきた。

 さて弦を張って糸巻きを巻く。徐々に張力がかかる。ブリッジが外れて飛んでこないかとも思うが、ここは自分を信じるしかない。今まで外れたことがないじゃないかと。
 そして音叉を聞きながらチューニングして....Eのコードなんかをボロローンと弾く。
この一瞬こそ、これまで作りながら想像あるいは想定していた音が現実となる瞬間であり自らの力が露見する場面である。

 「まあまあ鳴るかな」「低音は太めだがちょっとボヨヨーンとなるなぁ」「高温は弱めなのになぜかやたらにのびる」というのが偽らざる印象。内心ちょっと物足りなかった。

 あくる日の朝(すなわち今日)トイレの中で気がついた。「あっ、わかった!!!!!!!!!」と。
そしてギターのサウンドホールに腕を突っ込んで中を探る。
「やっぱり有ったぁー!!!!!!!!!!」。
「何があったの??????」と家内。

 それはブリッジ(駒)を接着するときのクランプの台座となる「当て板」。この当て板はボディーの中つまりブリッジの裏側にセットするもの。なんとこのミズナラ製の重たい当て板をセットしたままで昨日は試し弾きをしていたのだ!

 さっそく当て板を外して、「ボロローン」。あたりまえだが昨日とはまるで違う。
これこそまちがいなくこれまでのギターの中で最も大きな音がする。そして太く、力強い。高音もよくのびる。でもサスティーンの長さそのものは例の「当て板」がついているほうが長かったかも知れない。やっぱり高音側は質量が必要なんだと妙に感心。

 甘さとか繊細さとなるとどうだろう。これは弾き手の技量にもよるところが大きい要素で、自分の腕ではちょっと評価できない。
パリでは何人かのギタリストに弾いてもらえる予定だ。楽しみにしよう。


3/17(Fri)
くもり
リノキシンニス

 自分のギターは全面セラックニスで仕上げるが、今回のニスはセラックの他ににコーパルとリノキンシンを配合している。コーパルは黄色〜橙色の樹脂顔料で着色が目的、リノキシンは亜麻仁油が酸化して固まったものを化学抽出した成分で、バイオリン属ではよく使われる。リノキシンの効能についてはまだ経験がないが、試し塗りしたところ面がキラキラとしてキレイ(屈折率の関係らしい)で目止めの効果も大きかった。

 セラックは乾燥すると硬くて脆いが、リノキシンを混ぜるとオーバーに言えば弾力性がでてくるらしくって、木の伸縮に塗膜が耐える方向となる。逆に言うとセラックオンリー仕上げよりもさらにデリケートでキズがつきやすいということ。少なくとも半年は触らないほうがよいとの報告もある。ラッカーやポリウレタンがうらやましい。

 何事も経験しないと先に進まないと、あえてこれを使ってみた。理由はやはり仕上がり(見た目)のよさ。
音への影響に関しては全く不明だが、膜が柔らかいということであればキンキンとした音色にはならない一方で遠鳴りしにくい可能性もある。

 もうすぐ塗装も終わってブリッジ(駒)を付ければ完成だ。ちなみにこのギターは月末からパリに連れて行く。


3/5(Sun)
快晴


Robert Bouchet
いざ欧州!

 南に高気圧、うららかだ。こうなると虫だけではなくみんな穴から出たくなる。なんと工房の窓は全開放!

 昨年、知人のギター製作家Mさんから渡欧のお誘いがあったのだが、それがいよいよ今月末に迫ってきた。
まずパリでは、フランスを代表するギター製作家だった”ロベール・ブーシェ” の記念イベントに参加することが目的。実はMさんはブーシェ氏の愛弟子だったのである。

 元々は画家のマエストロ・ブーシェ、50歳ぐらいでギター作りを始められたと聞く。そして世界的大家に。もちろん天賦の才は疑う余地もないが、研究熱心なアイデアマンというイメージもある。
 「商品としてではなく、芸術作品として作りなさい」という言葉を残してくれている。

 数年前にブーシェギターのコピーを作ったことがある。ブリッジの裏側に表面板全幅のバーを配するのが独特だ。この方式はツボを心得ればよく鳴るだろうけど、そのツボの会得は至難であることがわかった。

 そのイベントでは国内外のギター関係者が集まるので、自分のギターを見ていただく絶好のチャンス。今製作中のものをなんとか間に合わせるつもりだが、それでなくてもせっかちな性分、あせるとロクなことがないと自分に言い聞かせている。

 有名な絵画や建築物もさることながら、ルーブルにいっぱいあるという木工品をこの目で見たい。

 さてドイツはというと、これがギター材料の買い付け。場所はワーグナーの楽劇の舞台でマイスターの町ニュルンベルグ市近郊。それだけでも十分わくわくする。
 ギターやバイオリン材料では老舗の材料屋さん、我々の為に大量のヨーロピアンスプルースの丸太を割って待ってくれているはずだ。
 今回の訪問で次回からはネット購入でもいいものを期待できる、という目論見もある。

 どうして飛行機が浮いてられるのか....って昔習ったことは覚えている。でも怖い。どうか落ちないで!、いや落とさないで!!


2/27(Mon)
晴れ
また木工雑誌が消える

 ちょっと昔よくお世話になった「手作り木工辞典」という月刊誌が、2年ほど前に廃刊となったときには寂しい思いをした。しかし多くの読者の熱い声が届いて、雑誌タイトルこそ変わったが別の出版社から再刊された。

 そして今度は工房でも定期購読している「室内」という月刊誌が休刊となる。建築やインテリア家具の専門誌だ。
「木工界」という名前で創刊されたのが昭和30年、自分とも同年代。例の「現代ギター」誌も相当長いことで有名だが「室内」はそれをも軽く凌ぐ半世紀モノ。

 読者減少による採算の悪化ということか。雑誌にもリストラがある。
ようやく木本来の良さを回顧しそれを求める人々が増えてきたのに。とはいえまだまだ絶対数は圧倒的に低い。

 業界人としてはあるまじき考え方かも知れないが、実はあまり流行しないほうがいいと思っている。
1月単位で作る家具や楽器がそんじょそこらに蔓延してなるものか。 って強がり!?。


2/17(Fri)
曇り
今年もいろいろと

 先日、地元奈良テレビの工房取材があった。
関西のラジオリスナーならみんな知っている馬場章夫(ばんばふみお)さんのテレビの情報番組だ。彼のような人をよく「パーソナリティ」と称するが、その語源は自分には全く不明である。
 まあそれはともかく、テレビも2度目ということで今回はホントにリラックスできて楽しかった。馬場さんは思ったとおり心優しくて、遊び心もあってそして紳士だった。自分よりは多少先輩ゆえの意見とかを時おり言ってくれたりしてそれがすごく嬉しかった。

 放送は3/2と3/9(再放送)だが、我家ではアンテナをどう操作しても奈良テレビが映らないのだ。お隣さんは鮮明なのに。でもすでにビデオ録画を依頼済みとか(連れ合い)。

 そして次の日には静岡の修学旅行生の工房訪問。4名の中学生諸君が自ら事前にアポをとっての訪問だ。
取材テーマは「匠」。カメラとノートでしきりに記録していた。「学校に帰ったら発表会があるので」とのこと。

 なんと清々(すがすが)しい少年、いや若者たちかというのが率直な印象。それにみんなすごくお利口さん。
 彼ら : 「なぜこの道に?」
 おれ : 「人生は一度きりだから.....」 てな話しもあったりして。

 彼らの進路とは関係なくても、一介の物作り職人に興味をもってくれたのがうれしい。自分が中学生のころの第二次産業至上主義の時代とはやっぱりどこか違うのかなと思ったりする。

 工房に上がるときも家に上がるときも、絵に描いたようにきちんと4足の靴が揃えてあった。

2/10(Fri)
快晴

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ちょっと勉強になりました!?

 小欄で記載したネックを削った鉄弦のリフォームギターだが、塗装が終わって弦を張って弾いてみると4弦の開放でビリビリと弦がフレットに接触している。 なぜだろう。確かリフォーム前は異常なかったのに。

 目ではわかり難いがどうもネックが微妙に逆反りしているようだ。1ケ月近く弦を外していたのでストレスから開放されて逆に反ったのか、ネックを削って木の新しい面が出てきたので削った側に反ったのか(家具作りのときはよく経験する)。

 いずれにしてもこれでは演奏できないので、ナットの下に600ミクロンの薄板を一枚敷いた。もちろんこれで解決はしたが、そのぶん弦高が高くなってしまう。

 もし上述のことが原因ならば弦を張って時間がたてば「元に戻る」はずである。
 さらにナットを見ると4弦だけ弦がごぼっと埋まるほど磨耗していたのでこれも一因だろうということで、依頼人がDIYできるようにナット材をサービスしておいた。

 ということでいろいろ勉強させられたリフォームであった。

2/8(Wed)
小雪
のりは温めて使います

 ギター作りの大半は実は接着タイムなのである。

 のりづけのとき、固定・圧着のために使ったクランプが外せるまで数時間から一昼夜かかる。なのでちょっと先を読んだ作業段取りが必要だ。
 夕方に接着して翌朝クランプを外すといったパターンが理想的。複数のギターを並行して作って接着のタイミングをずらすのも手である。

 但しである。冬場はちょっとちがう。

 自分がギター用の接着剤とし多用しているのはフランクリン社のタイトボンドだが、容器の能書きに「ボンドおよび材料自体の温度が10℃以上」で使えと書いてある。(ちなみにセットタイムの長いタイプのタイトボンドは4.5℃以下では使うなと書いてある)

 日中は石油ストーブとエアコンを併用してなんとか工房室内は10℃以上を維持している。タイトボンドの小分けした容器もストーブの上に置いて温めて使うようにしている。
 しかし夕方にストーブもエアコンもOFFにすると、みるみる10℃を割ってしまうので、終業間際に接着するのは冷え込む夜には厳禁なのである。
 ニカワで接着するときはなおさらで、ストーブ+エアコンでもダメ。ヘアードライヤー等で材料を加熱保温しなければならない。

 寒い日に屋外でタイトボンド接着してみたところ、やっぱり接着強度はイマイチでボンドが粉状になっていたりする。

 ギターは華奢に見えて各所に強い機械的ストレスがかかる(ブリッジとか)。また完璧なる「面と面」での接着がいいサウンドにつながるはずだ。つうことで接着技術こそ肝心なところの出来栄えを支配するといってよかろう。


1/30(Mon)
小雨
イタリアも寒い

 昨日今日と久しぶりに暖かい。移動性高気圧と聞くだけでぽかぽかする。
ところでヨーロッパも寒波が厳しいそうで、例えばリスボンは半世紀ぶりに雪が降ったそうだ。
その寒い中、連れ合いが今イタリアにいる。彼女によれば南に位置するイタリアも例外ではなくめっちゃ寒いと。ミラノは積雪30cmで、ベネチアもものすごく寒くかったが根性でゴンドラに乗った由。これから南に行くので間違いなく暖かいだろうと云っているが、さてどうかな。

 ということで我と2匹のネコはお留守番。単身赴任時代を思い出す。台所仕事も木工の続きと考えればまあ何とかできる。少なくとも緊張感はない。ご褒美にお酒は飲み放題!
 ただ、寝るときが・・・・・2匹のネコが入れ替わり立ち代り布団の中に少なくとも10回ずつは出入りしているようだ。夢と現(うつつ)の中間で行われているので人間は結構熟睡していたりするが。
 ネコはヒトより体温が高くて格好のコタツとなるし、特有のゴロゴロゴロゴロという極めて高い声(ちなみに発音機構はいまだに不明らしい)を発するが、とうに慣れているのでいい子守唄となってスヤスヤ。

 時折、年長のネコが荒手のヤスリのような舌で眠っている人のオデコを舐めたり、それでも気が付かなかったら爪で頭や鼻をチクっとしやがる。理由は2つある。ひとつは「はらがへったよ」、もうひとつは「はやくふとんにいれてぇ」

1/25(Wed)
晴れ

続 ギターのリフォーム

 前回のネック削りのつづきで今回は塗装の話。
ラッカー(ニトロセルロース)で可能な限りスベスベにというご希望だ。

その手順。
1.(#240→)#400でサンディング : 前工程のスクラッチやキズ類を除去 その後ナフサで清掃
2.セラックニスの刷毛塗り : いわゆるウオッシュコーティング
3.#400で軽くサンディング
4.マホガニー色に着色したとの粉をウエスですり込んで余剰分は拭き取り 乾燥後#400でサンディング
5.ラッカーサンディングシーラーを適宜希釈して刷毛塗り 3回
6.#240→#400で空研ぎして平滑にする ウエスで入念に粉を除去
7.クリアラッカーを適宜希釈して刷毛塗り 2回
8.#400→#1500で水研ぎ
9.クリアラッカーを薄めに希釈して刷毛塗り
10.#1500→#12000まで数段階の番手で水研ぎ
11.超微細コンパウンドでバフ研磨

 結構な工程ではあるが手順どおり機械的にやっていけば自動的に目的の塗装が出来るので気は楽だ。
ただし、塗装前のサンディングの善し悪しはそのまま結果に反映されるので注意を要する。

 ちなみに自分が作るクラシックギターは、セラックニスをタンポに付けてひたすら擦り続けて角質化させる「フレンチポリッシング」という方式だが、こちらはかなり熟練を要する。毎回挑戦するがまだまだ納得できる領域には到達していない。

 
1/17(Tue)
晴れ

左から
切出し小刀
裏反りナイフ
スクレーパ
ギターのリフォーム

 鉄弦アコースティックギター(昔:フォークギター)の修復やリフォームをしばしば依頼される。
大規模なものは対応出来ないが、フレットのビビリ調整や再塗装などは可能だ。

 今回は、ネックを削るという依頼。70年代USAののビンテージ物で立派な作りのギター、ラッカー塗装もしっかりしているし指板の反りも皆無だ。
 ネック厚を計ってみるとなるほど12フレット以降で10mm以上も厚い。これでは弾きにくかろう。ネック内部にトラスロッドがきちんと納まっていたので削ってもOKと判断した。

 まずは塗装はがし。
このネック、マホガニーを濃い茶色に着色してこってりとラッカーを塗ってある。その厚みは数百ミクロンもあって、シンナーとサンドペーパーでは遅々として埒があかない。
 そこで登場願ったのがスクレーパ。スクレーパは硬い木を削ったり均したりする鋼鉄片で、弦楽器製作者なら必ず愛用している道具だ。今回はどうせネック木部も削るので遠慮なく塗装面をシャリシャリ・ガリガリとスクレーピング。ネックと胴体のジョイント部は気を遣うが他は至って楽に仕事ができた。

 そしてネック削り。
あらかじめ型取りゲージで見本のギターのネック断面を数箇所コピーしておいた。
まず切出し小刀でヒール部をザクザクガリガリ。つぎに裏面が反り返ったナイフやスクレーパで整形。最後にサンドペーパで研磨。サンドペーパがけは必ず適当な「台」に貼り付ける。素手では凹凸が出来る。特にネックの場合は、スムーズな面であるほど握って気持ちがいいし、弾きやすい。#80→#120→#240と研磨して、水拭きで毛羽を立たせてから#400でフィニッシュ。

 今日はここまで。次回は塗装だ。


1/9(Mon)
晴れ
250年

 35歳であの世に旅立ったモーツァルトが今年で250歳になる。
巷では既に商魂たくましく・・・・・とうがった見方をする向きもあるが、これを機にひとりでも多くモーツァルトファンになればこんないいことはないと思う。過激なTVゲームの販売・製作の中止要望が世界中の有名メーカーに出されているのとは大違いである。

 モーツァルトの作品はおおむね楽しくて単純明快に聞こえる。ウイーンの大衆の受けを狙ったのだろうか。
自分も若いころはその気分で聞いていた。しかし年を重ねるにしたがってだんだん感じ方が変わってきた。

 長調のメロディーなのに短調以上に深い憂いや悲しみを感じるのだ。晩年の作品ほどその傾向が強い。
どうしても彼の人生とセットで聞いてしまうのでこうなるのか。演奏家が上手すぎるのか。それともその演出が天才作曲家たる所以なのか。クラリネット五重奏曲なんかはその典型だし、多くのピアノソナタもそいういう味がする。

 15年前の没後200年のときもけっこうなブームだったが、癒されたい人がぐっと増えた今はそれを上回るかも知れない。いや上回ってほしいものだ。

1/5(Thu)
くもり
ギターモード

 今年はハナからギターを作りたくて、暮れのギリギリまでかかってスピーカーを仕上げた。
そのギター、長々とお待たせしているので精魂込めて作らせていただかねば。
2台を並行で作って、何もなければ3月末には完成の予定だ。そう、数々の工程を経て最終仕上げのころには自動的にサクラの便りが聞けるってこと。と思うとなんとなく幸せな気分。

 おそろしく寒い冬なので工房の環境には気を遣う。問題は気温ではなくて湿度の低さ。蒸し暑い夏にボディのそこらじゅうが膨らんでトラブルにないようにすることも製作家としての義務である。
北国では雪との戦い、工房では温湿度計との戦い(ちょっとオーバー?)だ。

 今回のギターは、製材後ウン十年という年代モノの材料を使うのですごく楽しみである。


以下、2005年版

12/29(Thu)
晴れ
あと3つ寝ると.....

 サラリーマン時代には味わえなかったいろいろと面白い経験をした一年だった。
ギター製作コンテストでの受賞に始まり、新聞や雑誌の取材、さらにはテレビ出演。
 この調子でいくと来年はどうなるか?それとも運を使い果たしたか。解からないところに人生の醍醐味がある。いずれにしても遥かな目標に向かって精進することを楽しみにしたい。そしてそれができる環境に感謝感謝。

 マスコミに自らを暴露するのは本来は気恥ずかしいはずであるが、恐ろしいものでだんだん慣れてくる。まあ別に何も悪いことをしているわけでもないのでこれからもこのノリでいきたい。

 そんなこんなで今年のいちばんの収穫は、多くの人々とお知り合いになれたことだ。工房にも実にたくさんの来客をみて楽しく楽しくお話しさせていただいた。
 みなさまありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 
12/19(Mon)
くもり
第九その2

 BSでN響の第九を観た(聴いた)。今年もアシュケナージの指揮だがソリストには今をときめく森麻季が出演していた。 指揮者を中心になかなかの熱演。全曲を通してテンポが独特な感じがしたがこれはこれでいいのだろう。

 森麻季の透き通るソプラノはやはり評判どおり。声が太くないのがいい。容姿にも華がある。今年はコーラスがいつもの音大生ではなく二期会合唱団。好きずきかも知れないが、自分はこちらのほうが格段にいいなと思った。特に男性パートがバランスよく響いていた。
 欲を言えばホルンのソロはもっと堂々とプロらしく吹いて欲しかったのと、ソリストはヒナ段ではなく指揮者の横でやって欲しかった。

 アシュケナージさんはお風邪を召されていたようで、しばしば鼻の下に光るものをぬぐっておられたが、熱のこもった心温まる演奏をプレゼントしてくれた。

 N響に刺激されて久しぶりに歴史的名演といわれる、フルトヴェングラーの大戦後初のバイロイトでのライブ録音を聞いた。終楽章のなかごろにあるオケと合唱のフェルマータがむちゃくちゃ長いことで有名だ。アナログ盤をノイズリダクションしたCDなのでサウンドのよしあしは評価できないが、大レース前の入れ込んだ馬のような団員の心意気とそれらを束ねる指揮者の見事なたずなさばきが伝わってくる。聴衆はさぞかし熱狂したことだろう。
 
 エレガントにスマートにまとまった第九も時にはいいが、多少荒っぽくてもほとばしるようなメッセージを自然に感じ取れる演奏がこの時期にはあっている気がする。

 
12/13(Tue)
風雪
旋盤はおもしろい

 真冬の寒波襲来。奈良盆地の端にあるこの地は日中でも5℃にとどかなかった。

 今日も前々回の小欄で書いた木工旋盤の作業だ。旋盤は工房の2階にあるのでストーブも持って上がった。
窓の外は雪が真横に走っているがここはポカポカ暖かい。ヤカンもシュンシュンいっている。

 木工旋盤に関しては全くのシロートだったが、ようやくコツがわかってきた。これでソフトクリームのカップみたいな部品を作っている。例の特殊スピーカに使うパーツだ。鉄工の旋盤のように刃物の送りがX−Yテーブルではなくて全くの手動になるが、慣れてくるとこっちのほうが断然手っ取り早い。

 気を遣うのは刃物を当てる位置と角度。これが適当でないと材料に再起不能のダメージを与えるうえに、作業者もたいそう危険である。

 精度が要るパーツなので同じものをいくつも作っているとさすがにしんどい。気分転換に、栓の角材を使って「ワイングラス」を作ることにした。四角柱の材料をバンドソーのテーブルを傾けて八角柱にしてから旋盤にかける。材は35φのコレットチャックで保持する。腕力だけで着脱できるスグレモノだ。

 もう慣れているので30分もかからずに挽けてしまう。サンディングがまた楽しい。なんせ材料が回ってくれるのでペーパーを当てるだけでツルツルになる。
 そして塗装。オスモオイルではちょっと気持ち悪いので、桐油を摺り込んだ。

 あしたもう一回オイル拭きして完成だ。

12/8(Thu)
晴れ
第九

  「師走」ということば、気のせいか昔ほど耳にしない。その語源はいまの時代では特別に意味をなさないし、半世紀前から生きている自分ですら「先生が走る」情景を実感したことがない。

 さて年末恒例行事のなかでいちばん嬉しいのが「第九」の演奏会。一流の演奏を放送で聞くのもいいが、やっぱりコンサートホールがいい。むしろ一流ではない市民団体系のオーケストラやコーラスのほうが感激する。本番まで積み重ねてきた練習のあとがうかがえたり、プロでもよくミスをするホルンがビシっと決めたときなんかは本当にうれしくなる。そして終了後コーラス隊は涙にくれる。

 四国のどこかでドイツ兵のために演奏されたこと(その記念館がある)が第九のきっかけらしい。

 ベートーベンは終楽章のシラー作「喜びの歌」を思いっきり歌いあげたいがために、延々50分にも及ぼうという素晴らしい序章(1〜3楽章)を創った。しかし。。。。
 その序章のモチーフたちは未練がましく終楽章にも登場してプレゼンするが、「そんなんとは違うっちゅうねん!」とことごとく否定される。そして最後にコントラバスが「これならどうです?」と低〜い声でささやく。
 ミミファソソファミレドドレレミミーレレー ・・・
「それやっ!それやがな!」と、天か神様の声。全員も同意する。そしてこれまで聞いたことがない壮大極まりない歓喜の合唱へ。

 ちっぽけな苦悩を超えて人類愛豊かな輝かしい未来へ、というテーマが1年間をそれぞれの思いで過ごしてきた人々の気持ちによくマッチするのだろう。かくいう自分も毎年元気をもらっている。

 ベートーベンの交響曲はどれも好きだ。FMで放送されるとたいていの場合は「しばし休憩」となる。

11/24(Thu)
晴れ
さあオレもウッドターナー!

 今年は寒くなるのが早いのではないか。晴れた朝はクルマが霜でバリバリだ。工房もすでに石油ストーブのお世話になっている。もっとも午後になると小春日和ですこぶる気持ちがいい。

 今年はどうもスピーカー作りで暮れそうだ。ある企業からの依頼品なので詳細は語れないが、実にユニークなシロモノなのである。ちょっと弦楽器作りのセンスが必要だったりするところがミソ。
 さて懸案の重要パーツの図面が先日開示された。それを見てちょっと頭を抱えた。自分の引き出しには入っていない技術が必要だからだ。それはかなり高度な木工旋盤の腕を必要とする。いずれはウッドターニング(木工旋盤での作業のこと)もできるようにと思ってはいたが、ついにその時が来たようだ。

 その辺の本やらネットで俄か勉強して、工房の鉄工用のミニ旋盤でちょっと練習してみた。その結果、ミニ旋盤ではパワー不足で仕事にならないのと、チャック(材料把持)機構が皆目(かいもく)間に合わないことがわかった。
 
 そこで工房2階に眠っている木工旋盤の登場となる。これで仕事をするのは初めてだ。ただ、その機械だけでは今回のモノは作れない。さっそくスクロールチャックやコレットチャック、専用の刃物などをネットで調べて発注した。何か新しいものを作るときは必ず新しい道具が要るというジンクスは今回も健在だった。

 世の中にはウッドターニングを主業とする人がたくさんいる。いわゆる刳り物っているやつ。お椀やお皿にお盆、壺とかも。またイスやテーブルの部材加工(これは刳り物とはいわない)でも旋盤が使えれば重宝するだろう。
それだけに奥が深くて決して片手間にできる仕事とは思わないが、ちょっとやてみるとすごく面白くて「これはやめられんなぁ」とつぶやいた。


11/14(Mon)
くもり
霜月祭

 わが御所市のしもつき(11月)の恒例行事といえば「霜月祭」。これを、”そうげつさい”と呼んでいる。これが昨日の日曜日に開催された。

 築後400年〜150年という多くの町屋が一般公開される。奈良町や今井町よりは件数こそ少ないが、内容は勝るとも劣るまい。その家の住人やボランティアが懇切丁寧にアテンド(解説)してくれるし、おうちの中まで拝見できる。家そのものが立派で珍しい展示物だが、さらにこの日のために貴重な品々が蔵から出して展示される。
 
 町屋とはいえ、どの家も桁外れの豪商であったことが伺える。礎石の上に載った8寸から1尺角はあろう大黒柱はケヤキの漆塗り。梁も2尺はありそう。これらを槍鉋で仕上げたという。まるで寺院だ。

 自分の目当ては往時をしのばせる調度品を拝見すること。もちろんデジカメでパチパチ。いい勉強をさせてもらった。

 しかしそんな時代、自分たちの先祖や大多数の一般庶民はどんな暮らしだったのかとつい思ってしまった。


11/1(Tue)
快晴
マウンテンバイク

 これ以上ない快晴の一日。空気の透明度も抜群で南の大台ケ原から北の若草山まで明瞭に望めた。
5月の連休のころにも感じるが、同じ一日でも値打ちを感じる日和であった。

 工房にこもっているのはいかにも運動不足なので、納戸に放り込んであったマウンテンバイクを出してきて、このところ夕方に乗っている。30分前後、距離にして10Kmちょっと程度だが、夕方になると脚がウズウズするというか習慣になりつつある。
 
 コースは毎回違う。車では行けない山道や在所の小径を走るのが面白い。なかなかどうして小さいころの風景がまだじゅうぶん残っているし、近隣なのに生まれてから一度も行ったことのない町や村ではほんとうに「新発見」することが多い。明治や大正の佇まいを残す民家や里山、手付かずの小川、8割はありそうな同じ苗字の村・・・などなど。

 10年ほど前、東京葛飾に転勤していたころは実によく乗った。フーテンの寅さんで有名な江戸川土手のサイクリング道を通って、北は江戸川が利根川から分かれるところ、南は東京湾・ディズニーランドという具合。なぜかいつもきつ〜い向かい風に吹かれながら。


10/22(Sat)
神無月は

 この月末に誕生日。大台も超えてるのであまり嬉しくないが、今のところ40代末期にたくらんだことがまずまずの具合で来ているようだ。
 木工なら「何でもやってみよう」のノリでここまできている。二兎追うものは....ということも承知している。しかし時間を楽しむということならウサギは何匹でもいいのである。

 ある知人が「好きなことに、好きなだけ時間を使えるのは素晴らしい」と。これほど贅沢なことはないだろう。

 冷たい雨が大陸の空気を連れてきた。もう作業服も長袖でないと寒い。今日から掘りゴタツに布団をかぶせた。

10/16(Sun)
晴れ
人生の楽園

 自分たちがテレビ放映されるという貴重な経験をさせてもらった。収録のときより昨日の放映のときのほうがドキドキしていた。

 ギターを弾くシーン、編集の仕方ではもうちょっとマシに作れたはずなのに、けっこう「ズッコケ」のネタになっていた。でも全体の中ではうまく納まっていたようだ。ギターを弾きながら「これが実力ですワ」とカメラ目線で舌を出したら撮影スタッフに大受けしたのだが、このときの絵が番組の冒頭や予告編で使われていた。

 放送が終わるや否や電話の殺到。家内とかわるがわる対応したがこれには参った。幸いイタズラ系はなかった。HPのアクセスも放送後の1時間で1000回を越えた。

 同世代の伊藤蘭ちゃんに何度も名前を呼ばれて、実はこれがいちばん嬉しかったりする。

10/9(Sun)
晴れ
感動って

 昨日はいつもお世話になっているピアノ発表会。今回も先生のピアノとアンサンブルをさせていただいた。ピアノほど相手を選ばない楽器はないと常々思っている。もちろん我がアルトサックスとも抜群の相性だ。

 さて日ごろの稽古の成果を披露する生徒たちの演奏、これがすごくよかった。胸が熱くなってくる演奏もいくつかあった。音楽を聴いて感動するのに理屈や講釈は不要だし、演奏テクニックも手段のひとつでしかないと思う。

 今は音楽の形が多様だが、ヒトの脳と体から直にそしてリアルタイムに発せられる音楽がやっぱりいい。

10/2((Sun)
曇り
ありがとうのオンパレード

 5日間の収録が終わった。最終日は自宅を展示会場にして友人たちの力作を披露した。手工ギター、木工品、陶芸など想定以上の作品が集まった。ディレクターの計らいでおそらく全員・全作品にテレビカメラと集音マイクが向けられたと思う(放映されるかどうかは別だが)。

 最後の締めくくりは「ダッチオーブンパーティー」。許可をいただいて自宅前の公園を会場にした。これも予想を超える参加者に恵まれて盛況となった。その中をテレビカメラが動き回る。ダッチオーブンは経験豊かな近所のご夫婦が朝から準備をしてくれた。メニューはミートローフ、ジンギスカン、テールスープ。このうえなくおいしい。!!!そしてあたたかい味がした。テレビ撮影以上に皆さん感激していた様子。ありがとうございました。

 ディレクターから「奥さんが感動しそうな曲を弾いてください」と指示があった。仕方なくアルコールの勢いのままギターを取り出して「時の過ぎ行くままに」を弾く。(本当はSAXでやりたかったがストーリーが全然つながらないのでダメと言われた)番組のフィナーレでこのときのカットが使われそうな気がする。

 秋のツルベ落としには逆らえず、宴も終焉へ。そしてすべての人々とお互いに「ありがとう」のあいさつ。合計すると千にも及びそうな「ありがとう」の数。そのなかで5人の撮影クルーと握手をして彼らのワンボックスカーを見送った。

 宵のうちが過ぎたころにザーっとにわか雨。公園の地面をきれいに洗い流してくれた。

10/1(Sat)
曇り
撮影順調!?

 収録撮影も4日を経過。だんだん緊張もやわらいできた。そのぶん地が出てきて冗長になったり、くどくなったりちょっと反省。夫婦でのツーショットインタビューや二人で歩いているシーンでは、今さらどうなるわけでもなく田舎のおっちゃんとおばちゃんの姿がそのままモニターに映っていた。

 感激したのはギターの撮影。このへんはカメラワークもさることながら照明さんの腕の見せどころだ。立体感、光沢感、色調、輪郭、木目のテクスチャーといったものが徐々にイメージどおりになっていく。ギターの中に貼っているラベルまでスポットを当てて字が読めるようにしてくれたのもうれしかった。ちなみにこのカットだけで2時間所要。

 家内の出番も結構多い。ディレクターの相当突っ込んだ質問に心の中では閉口しながらもなんとかこなしていたようだ。

 おびただしいカットの数々。これを編集してナレーションや音楽を重ねて番組が出来上がる。そして全国に放送される。ものすごく怖いけどもはや開き直るしかない。明日で撮影も終わる。

9/28(Wed)
曇り
取材その3

 雑誌・新聞とくれば次はテレビかな、なんて冗談を言っていると、なんとそれが現実となった。雑誌掲載がきっかけとなったようだ。

 今日が撮影の初日。これから5日間も続く。転職してギターや家具作りにいそしむ姿をとおして、内助の功を演じる妻との夫婦愛やまわりの人々とのつながりをディレクター氏は描こうとしているような気がする。

 ギターの板削りや部品の接着などの実演とインタビュー、自分としてはそんなにNGを出さずに済んだように思うが、やはり硬かった!!でも5人のスタッフといっしょに番組を作るという作業は本当におもしろいと思った。あしたからも楽しみだ。リラックス、リラックス。

 ところでその番組って? お察しのとおり、そう「人生の楽園」です。

9/20(Tue)
晴れ
秋のうた

 秋という字の下に心をつけると「愁」。
先日、葛城山に登る用事があって頂上まで行くと一面に見事なススキが風に揺れていた。あたりは雲ひとつない午前中の元気な日差しを受けてキラキラしている。しかしどことなく寂しい。そう感じたのは私だけではなかった。やっぱり秋なんだなあ。

 「今はもう秋、誰もいない海」からはじまって「小さい秋み〜つけた」「ススキの中の子、いちにのさ〜んにん」ぐらいがちょうど今ごろか。「哀愁のページ」「色づく街」(いずれも南沙織)はもうちょっと先で、「秋のゆうひに、てるやまもみじ」となると紅葉のさかり。そして木の実の落ちる音が印象的な「里の秋」となるともう北国は冬支度。
 
 季節の巡りは早い。さあ、あしたは刃を研ごう。

9/13(Tue)
晴れ
かんばん

 クラフトMという木工房を営んでいるわりには、あらためて我が家を外から眺めてみるとどう見ても普通の田舎の家屋にしかみえない。よく見ると奥に工房も見えるのだが。

 「なんでやろ?」「そういえばカンバンが無いね!」

 と気が付くとすぐに作りたくなるのが我が性分。せっかくのカンバンなので、ヤマザクラの耳付き板をはりこんだ。座卓か文机用にと大事にとっておいたものだ。
 パソコンでデザインしたものを家内に見せると「そんなんアカン!私が書きます」。 結局彼女の手書きでいくことになった。

 どう見ても洗練しない文字群。一目で手書きとわかるのだけが救いか。
ルーターで文字を浮き彫りにしてカシューで塗装。文字のところだけ家内が顔彩で着色してクリアラッカーで仕上げた。

 さっそくカンバンを通りからよく見える壁に吊り下げた。
ぜんぜんアカヌケはしないが、素直に目に入る感じ。インパクトだけはけっこうある。
ご近所の反響や如何に。

9/8(Thu)
晴れ
よみがえり

 若いころのノスタルジックでセンチメンタルな出来事がもう一度味わえたら。。。。
と思うのは年齢を重ねた証拠かも知れなしい。
しかし会社を退職してからというもの、そのころがよみがえったこともある。

 まず学生気分。
利害や上下関係の無い「オレ・オマエ」の世界を、職業訓練校とポリテクセンターで二度も味わうことが出来た。その1年半というもの、夢のなかで過ごしているようだった。もちろん付き合いは今でも ing だ。

 その次はサックス。
衆目の前での演奏機会がほんとうに増えた。ア・カペラでもやるが最近ではサックス用のカラオケを作ったりCDを入手したりして伴奏付きでやることも多い。
 来月もピアノ発表会でのエキストラ出演がある。ピアノの先生とのアンサンブルだ。本番はもちろんだが、生のピアノといっしょに吹けるので練習も本当に楽しい。これも若い頃のよみがえりといえる。

 人生の諸行無常を人並みに味わってきていえることは、未来や過去はまあおいといて、一番大切にすべきは”今このとき”ということ。

8/28(Sun)
晴れ
ハカランダは高いか?

 家具用木材や一部の建築用材は体積単位で取引される。昔は石(コク)、今は立米(リュウベイ)。USAでは立法フィートetc。

 植林木よりは天然木、同じ材でも乾燥しているほど値が張る。また幅がある程度以上広くなれば(つまり木が太い=樹齢が永い)飛躍的に高くなる。もちろん節や虫喰いがないとか、年輪が密だったりすると高くなる。
 だいたい家具用広葉樹材で1立米で十数万〜ざっと百万円。建築用材では数万円の杉の角材からあるし、ホームセンターのツーバイ材の元値は腰を抜かすほど安い。

 さてギター用材はどうだろう。
さすがにリュウベイではなく枚数単位の取引きになるが、これをリュウベイ単価に換算すると、百万円ぐらいから800万以上となる。
 この800万クラスに君臨するのが、ブラジリアンローズウッド(jacaranda : ハカランダ)なのである。これに比べれば樹齢数百年のすごい玉杢だらけのケヤキも及ばない。

 小欄で何回もふれているが、ハカランダは伐採禁止になって久しい。もはや存在しないのである。希少なうえにギター材として最適なのだからいくらでも高騰するわけである。
 
 昨日はある材料屋さんでそのハカランダ材も仕入れてきた。
あと何年ギターを作れるかわからないが、チャンスと予算があれば出来る限り手元に置きたいと願っている。

8/20(sat)
晴れ/雨
役に立つホームページ!?

 宣伝するつもりはないが、当HPはyahooジオシティーズのお世話になっている。ちょっとした制約もあるが、容量も十分で安定しているし、安心もできそうなので今のところ気に入っている。

 ジオシティーズではアクセス解析のサービスがあって、やはり気になるのでよくチェックする。
回数が最も多いのはトップページだが、その次はダントツで道具コーナーとなっている。そしてこのページは検索サイトから直接とんでくる人が多いのが特徴。肝心の”商品”のページとなるとアクセス回数はガタンと落ちる.....そのなかでも人気のある作品はアレとコレ.....
てなことが解かるわけだ。

 商売のことを考えると常連の訪問者よりも如何にしてイチゲンさんを増やすか、ということになる。
しかしどうしてもマニアックに走ってしまう傾向があるようだ。

 マニアックついでに、家具の製作過程を掲載することにした。手始めに今作っているチェストベンチ。
ケチな企業とは違ってマル秘でもなんでも公開する所存。
選挙車のごとき一方的な宣伝サイトより、ちょっとでも役に立つホームページのほうがやっぱりいい。

8/13(Sat)
くもり
十杉十色

 35℃を超えると鑿(のみ)を持つ手の甲に汗の粒が噴出す。シャツもボトボト。でもエアコンは点けない。理由は、しこたま汗をかいてシャワーを浴びてビールを旨く飲みたいから。

 依頼もあって久しぶりに杉材を引っぱり出して色紙額や短冊額を作り溜めしている。
 十人十色という言葉は杉にもあてはまる。つまり十杉十色。木目といい、木肌の色あいといい、とても同じ木とは思えないバラエティがある。こんな木はおそらく他にはないだろう。
 その風情や味わいも独特で、侘び・寂び・粋・純朴・繊細・華奢・素直といったところはアブラっこい広葉樹はおろか檜などの針葉樹でも遠く及ばないものがある。

 全体としてはすごく柔らかいのだが冬目だけは堅い。なので柾目材に糸鋸で透かしを入れるときは結構コントロールが難しいし、板目になると鉋がけのとき逆目彫れがきつい。

 杉細工ではあまり機械が使えない(使わない)。作品が小さいというのもあるが、手鋸や手鉋のほうがやりやすいしおもしろい。特にノコギリは刃厚0.2mmというナカヤの極薄胴付きノコが大変重宝する(道具コーナー参照)。杉に対しては大根か人参のごとく切れる。ノコギリはノコ身の重さだけで挽くというのが基本だが、この胴付きノコはこれを忠実に守らないと決してまっすぐにそして垂直に挽けない。

 ノミもピンピンに研いでおかないとあらぬところでささくれたり割れたりする。柔らかいからといって手でノミの頭を叩くのは厳禁である。理由は刃先がブレるから。やはり木槌でコンが一番。

 5つの額が組みあがった。塗装はしない。そのかわり”うづくり”を施した。これで先ほどの冬目だけが浮き出る。
あとは壁に吊るせるように、脚割り式菊座付き丸かんを付けて正絹の組ヒモを通すことになる。
 (完成品は作品集にアップしています

8/4(Fri)
晴れ
取材その2

 ここにきてホームページを見ての来客が連続している。たとえば先日は新開発のスピーカー作りの件(今のところ詳細はヒミツ)、今日は朝日新聞の取材があった。先月の雑誌社のは転職がテーマだったが、今回はギター作りが主題。今回も広報効果がありそうなので素直に応じた。
 
 家具作りのほうもモーションを起こしてみたが、これはネタにはなりにくいようで専らギター作りの話題に終始した。県内でギターを作るというのはプロ・アマを問わずおそらく片手で余る数だろう。しかも中年の男が会社を辞めてまでそれをやっているとなれば、読者の興味も湧きます、と記者氏。

 目標は?と聞かれたので、「村地佳織プロに、弾かせてと言わせること」と答えてしまった・・・・・あぁどんな記事になることやら。


7/26(Tue)

座卓

 かねてから欲しかったクリの板が入手できた。半年前に人工乾燥したもので厚みは1寸5分。
デサイン展に出す品物の構想がまだまとまらないので、その間クリ板で小座卓を作ることにした。

 環孔材らしく木目ははっきりしているが、タモよりは優しい感じ。ナラにも似ているがちょっと違う。ナラよりは軽くて柔らかい。
鉋で試し削りすると、思いもしない所で逆目が出たりするのでしっかり裏金を効かす必要がある。匂いはナラ系。
腐りにくいので昔は家の土台にや枕木に使われたそうだが、国産の太いクリの木は極端に少なくなったと聞く。

 その座卓、甲板が約1m×75cm、これに吸い付き蟻で左右の反り止めを打ち込む。その反り止めに板脚を付けて板脚同士を貫きで固定するという仕様。畳でもフローリングでもと考えている。

 そして塗装は? と考えたとき自分には漆塗りの経験が全くないことを思い出した。
自分の仕事にはやっぱり漆は必要だ。ギターにも応用したい。よ〜し、これを機に習いに行こう!? 

7/19(Tue)
晴れ
鉋をかける
 日本の四季はまことに明瞭。この田舎では1週間単位でその移り変わりを感じとることが出来る。

 依頼品のキャビネットも完成して、あるデザイン展に出品する作品に取り掛かるところだ。しかしまだデザインをフィックスできていない。いつもこの作業に最も時間と頭を使う。ああ湯水のごとくアイデアが湧き出る人がうらやましい!

 作品の出来栄えを気にするのは物作り人に共通。無垢材を使う家具の場合は、デザインの善し悪しは別にして、外観の美しさは鉋がけの有無および稚拙によるところが大きいと思う。

1.機械鉋を通しただけ、あるいはテーブルソーで挽いただけ
2.機械鉋+サンダー(ベルトサンダー、オービタルサンダー)がけ
3.機械鉋+サンダーがけ+木目に沿ってハンドサンディング
4.機械鉋+手鉋仕上げ
5.機械鉋+手鉋仕上げ+木目に沿ってハンドサンディング
☆このほかに、凸面や凹面の手鉋での型付仕上げや”うづくり”もある

上記の1と2はプロなら極めて少なかろう。
3は非常に面積の広いテーブルの甲板ではありうるが、機械鉋の刃型(ナイフマーク)を完全に除去するのが常識。
通常4か5である。一般に5の方が塗料の乗りがよいので、自分の場合#400ぐらいでせっかくの平面を崩さないように軽くサンディングする場合が多い。

 その鉋がけ、もちろん刃が上手に研げていることが大事というか前提になるが、鉋台の調整が極めて重要。
これが出来ないといくら切れる刃でも美しい面を作ることは絶対に不可能。
 アルダーやメープルなどの散孔材は20μm前後のシート状鉋くず、ナラやタモのような環孔材では数mm幅のひも状あるいは網状鉋くず(つまり導管より薄いということ)が出るように調整する。

 機械鉋をかけた面に仕上げ用に調整した手鉋をかけると、必ず最初は鉋くずが連続しない。数回かけていくと連続するようになる。つまり元々は微妙に平面が出ていなかったことになる。しかもX−Y方向にである。
ここに手鉋仕上げの必要性があるわけで、塗装するとその違い(見た目と触感)はなお明瞭となる。

 仕上げ鉋をかける作業がいちばん楽しい。自己満足かも知れない。でも木は鉋をかけられるために生まれてきたと思うこともある。

7/11(Mon)
くもり
時をかける.....

 雨ではないが空気中の水分がほとんど飽和してそうだ。ひとつ塗装待ちの品物があるのだが今日もあきらめて、新しい依頼品の製作にかかった。

 きょうの午後のFMは管楽器特集。須川展也のSAXをはじめギャルド・レピュブリケーヌ(世界的に有名なフランスの吹奏楽団)の東京での録音、70年代の吹奏楽コンクールの課題曲などなど。好きなジャンルだ。
 こんなときは仕事がはかどらない。もしくは失敗しやすい。まず機械類はその大音響ゆえに使えない。手作業でも特に墨付けのときは要注意。音楽に聞き入っているととんでもない間違いをしでかすときがある。なのでこんなときは”しばし休憩”。

 番組のなかで最もグッときたのはホルスト作曲:吹奏楽のための第1組曲。
30年前の夏休みがよみがえった。我が吹奏楽部はコンクールや定期演奏会のために毎日練習だ。1週間ぐらいの合宿もした。校庭の木陰や池のまわりでの個人練習やパート練習、合同教室での全員合奏。その夏だけで何百時間吹いただろう。でもいくら吹いてもまだ吹きたいと思った。エネルギーがあったんだなあ。ピアニッシモでもよく通る音、いくらでも出るフォルテシモ、あのときがピークだったのかもしれない。

 その年のレパートリーのひとつがホルストの組曲だったのだ。合奏していてこれほど気持ちの良い曲はなかった。
イギリスらしい旋律、シンプルでどこか邦楽にも似た懐かしさ、そして野山や森のにおい。SAXを吹く格好をして実は歌っていてたこともあった。
今日は久しぶりにそれを聞いて当時までタイムスリップすることができた。またやりたいなあ。

 そんなこんなで今日の休憩は2時間近く。でも休憩も立派な仕事/人生の一部なので何も気にしない。

7/8(Fri)
晴れ
取材

 きょう生まれて初めて週刊誌の取材を経験した。もちろん取材をされる側である。

 いわゆる転職をテーマにした連載もので、もう百以上回を重ねている。
当HPが相手の検索に引っ掛かったというのが今回の発端。脱サラして工房を立ち上げたというのはうってつけのネタではあろう。

 インタビューしてくれたライターとスナップを撮ってくれた写真家はともにうら若き女性。
ベラベラとけっこう調子よくしゃべっていたように思う。仕事とはいえ1日を費やしてはるばる見えたのだからというのもあるが、ライター女史の雰囲気によるところも大きかったかもしれない。

 週刊ダイヤモンド。恥ずかしながら自分はこれまでに一度も読んだことがない。
掲載は8月のどこかでとのこと。一抹の不安もあるが、もちろん楽しみである。

7/3(Sun)



 前回の小欄では水不足、今回は大雨。恵みの雨ではあるが集中するのは困る。でもアジサイは色が冴えてきたし、夜のカエルの合唱も本来のボリュームとなってきた。

 3×6尺のテーブルも完成してオイルフィニッシュに入るところだがこの雨では不可能。オイルは酸化重合して固化するので一見湿度と関係なさそうだが実は大有り、絶対に雨の日はダメ。

 塗装ができるまで家用のキャビネットを作ることにした。ビデオカセット/CD/DVDとA4雑誌専用の収納棚だ。材はハードメープル。これを家具に使うのは初めてだが、次回の注文品に備えての予行も兼ねた。

 その葉は国旗(カナダ)に描かれているし、あのメープルシロップも採れるので有名。むこうではオークは王様、メープルは女王だそうな。
 このメープル、とにかく堅い!そして重い。鉋盤の刃がみるみる切れなくなっていく。木理の交錯したところは逆目もきつくて手ごわい。でもなぜかノミとの相性はいい。散孔材特有のきめ細かさと上質の桐のような白さはまことに高貴で品が良い。オイルフィニッシュして年月を経れば飴色になっていくとというのも魅力だ。
 この材はテーブルとかの天板に非常に向いていそうだ。次はパソコンラックでもデザインしてみよう。

 
6/26(sun)
快晴
雑誌に載った!

 梅雨前線は近くにいるのになかなかやって来ない。もうすでに水不足のニュースもちらほら。ツユ時には雨が降るものとしてみんなやってきているので、降らなければ一種の災害である。

 5月の大型連休に開催されたギター製作コンテストの写真が、現代ギター誌に掲載された。前回のコンテストでも載ったのでこれで2回目。なお詳細レポは来月号だそうな。
 そういえばあれから、はじめてギタリストの先生を通じてギターを売ることが出来たので、もうアマチュアとはいってられない立場になった。もっともっと完成度を高めねばと思っている。

 某週刊誌のライターから工房の取材をしたい旨のメールが入った。今のところ積極的な広報活動は控えているので迷ったが、別段悪いことでもなかろうということで応じることにした。しかし本当に掲載されるかどうかわからない。
なんでもホワイトカラーの転職についての連載コラムだとか。無事掲載のあかつきにはまたHPでお知らせするつもりである。

6/22(Wed)
曇り
シンプルデザインと”用の美”

 無意味で余計な装飾はせず、各部材の形もすっきりとどちらかというと直線基調のデザインが好きだ。 

 生活の中から生まれたデザイン、それはほとんど必然のみで構成されているといってよい。例えばシェーカー教徒の家具調度品。日本では大正から昭和にかけて勃興した”民衆の工藝”すなわち民藝品。現在のそれとは相当ニュアンスが違うが。

 共通項はいわゆる”用の美”。木工品に限らず陶磁器や道具類などでも使われる表現だ。
用の美の”用”は、用を成すの”用”。日々役に立つ物としてせっせせっせと使われてこそ価値があるという考え方。それに耐え得ること自体が立派なことだがこれを前提として更に”美しさ”を求めようとしたのが用の美。

 ギラギラ・コテコテとはいわなくても装飾に主をおいた物品には、少なくとも自分は感動も安らぎも覚えない。例えばダイヤモンドをすごい技術とセンスできれいにちりばめた時計とか(ギヤーの軸受けがダイヤモンド製でキラキラしているスケルトンの時計のほうがいい)。あたかも電気丸ノコの安全カバーに龍の透かしを入れて喜ぶようなもので、おもしろいかも知れないが用の美とはまるで対極の所作。

 いつも使っている鉋・鑿・玄翁・鋸などの手道具類こそは洋の東西を問わずまさに用の美の典型だろう。

 箱物家具もイスもテーブルも必要とする機能を十分に全うする姿を、シンプルにそして素直に表現できればいいなといつも思っている。

6/13(Thu)
晴れ

材木市

 三重県上野市の大きな材木屋さんで月3回も開催されるという材木市に行って来た。
建築材中心らしいがたまにはヒノキやスギを見るのも楽しかろうと思って知り合いに同行した。

 市ということで、一品ずつ”オークション”で競り落とされる形式だ。
ところが不思議なことに買う人が乏しいためか、100%の品物がどんどん値段が下がっていく。絵に描いたような買い手市場。
 かくして耳を疑うような価格で取引される。定尺でない材などはまさに二束三文。
さすがに木曽ヒノキや四方柾節無しの建具用材などはかなり値が張るが、それでもいつも使っている家具用のナラやタモに比べるとはるかに安い。しかも国産だ。これを見過ごすのはまことに忍びない。ヒノキならではという作品も真剣に考え出さねばと思った。

 結局、岐阜の業者からケヤキの厚板を3枚○千円という破格で競り落としてウハウハと車に積み込んだ。次回も楽しみだ。でもその前に材料置き場をなんとか確保しなければ。

6/8(Wed)
晴れ

酒その2

 日本酒と一口にいってもご承知のように、味、かおり、風味など実にバラエティに富んでいて、同じ原料だと到底思えないものも多々ある。

 その昔、国じゅうの地酒がずらーっと百以上は並んでいる居酒屋に行くことがあった。その景色を見ているだけでも値打ちがあるというもんだ。
 しかしバレンタインチョコならともかく相手はお酒、そんなに何種類も試せない。しかも注文は一合単位だ。
「これを制覇しなければ」と当然思った。自分の場合、まともに家に帰れる限界は5種類つまり5合ぐらいだろうから、店に百種類あるとして20回以上は通わねばならない計算。まあ不可能ではないが、会社から遠いしそんなに日本酒をガバガバやるツレも少ないこともあって、あえて挑戦せずに今後の課題とした。

 その課題については鋭意取り組んでいる最中だ。現在までのところ毎晩いただいている地元のお酒(*1)より旨いと思うものにはお目にかかっていない(晩酌には不適当と思われる”高級酒”は対象外)。我ながら今後の取り組みの成果に期待したいところである。

 ちなみにこの取り組みが完了したあかつきには、次のテーマは ”焼酎” !

  注)
      (*1)金鼓

6/3(fri)
晴れ

酒その1
 
 酒がない晩飯は、食べ物がのどを通らない。もう何十年もそうだ。
何かの研修会や会合でしばしばそういう目にあうが、自由を剥奪された気分になる。
決してアルコール依存症ではない。ただ晩飯のときには酒がないと、その一日がおさまらないのだ。

 酒といってもいろいろあろう。
嫌いな酒(類)は何ひとつない。何でも喜んでいただく。
でも好きな酒(類)は、ダントツに日本酒だ。ほんとうにおいしいと思うし豊かな恵みを体じゅうに感じる。
 日本酒にもいろいろあるが、”たんれい”とか”辛口”とかの酒なら白ワインのほうがまだマシだ。甘口というかトロトロでむせ返るような米のエキスが口いっぱいに広がって、2m離れていても酒くさ〜い匂い(香り)がプンプンするのがいい。
アルコール度数でも14〜15%と書いているのはアカン。15〜16%のやつとは雲泥の差がある。かといって20度とかそれ以上のやつは清酒ではなく別物として味わうべきもの。
 酒の肴。これもいろいろあっていちいち書いていると夜が明けるのでやめとくが、魚ならなんでもOK。肉はNG。
風変わりなところではオハギ(ボタモチ)。これがなかなかイケる。

 次回につづく.........
5/28(Fri)
晴れ

ボーダーレス
 
 それは本能
 それは太古からの知恵
 それは種の保存戦略

 地球上のあらゆる生物に共通する生のコンセプト。
 それがあったから、象もシマウマもボツリヌス菌も杉もアサガオも、アリやキリギリスもそして我らヒトも今ここに居る。
 
 ところで「それ」とは何でしょう?

 答えは「排他」。

 すなわち、俺以外、俺たち以外、我校以外、我社以外、県外、国外、アジア以外、地球以外・・・・は排するあるいは排してもよい、あるいは排すべき、あるいはどうでもよいという考え方および行動。

 たとえば戦争、いくさ。 
 たとえば外国で列車事故が起こった場合、”邦人の負傷者は...”という報道。
 たとえばニュークリアーボンバーの所持。
 月まで行って国旗を立てるのも、川や草むらに空き缶を捨てるのも、京都議定書に批准しないのも同じ。

 決してジコチューとか身勝手とかでは簡単にくくれないシロモノ。
 
 ネコやイヌにはまずできない。サバンナのライオンにシマウマを喰うなとは云いにくかろう。
 だけどヒトにだけはできる、可能だ! ボーダーレス

 
5/22(Sun)
小雨

子供に見せたくない番組
 先ごろ新聞に表記の記事が小さく掲載されていた。民放はほとんど見ないのでその記事を見ても「なるほど」とうなづける立場ではないが、十分察しはつく。
自分が小さいころにも”低俗番組”と呼ばれる番組があった。例えば”ゲバゲバ90分”、”底抜け脱線ゲーム”がそれである。(それが何故低俗なのか今でも理解できないが)
 それらの番組に比べていまの”子供に見せたくない番組”のたぐいは筋金が入っている。子供にというより国民みんなににといったほうがいいかもしれない。そんな番組をなぜ、何をもくろんで、何のために作るのか?見る人、見たがる人がいるからといって、はては表現の自由だからといって、、、、それは脳腐病へのマインドコントロール、、、、、そしてスパムメール、おかしなゲームソフトやゲーム機などと同じ匂いがする。これらには子供だけではなくハタチを過ぎた青年や中年諸氏でも残念ながらマジに影響を受ける人がいることを忘れてはならない。

 ところで、先人たちが構築した社会やシステムを今の担当者は老若にかかわらず”こなしきれていない”と思えて仕方がない。あらゆる方面でのヒューマンエラーや悪事がその結果である。これがたまたま人命がかかわるシチュエーションだったのが福知山線の事故や航空機関係の不手際。要するに日本人の資質が著しく悪化しているのではないか。技術・技能はもとより道徳観や精神力、さらに運動能力や教養も。

 そこで話は飛躍するかも知れないが、その資質悪化の片棒を強力に担っているのがまさに前述のモロモロではないかと思っている。

5/13(Fri)
はれ

手作りの味考
 手作り○○と謳うモノは世の中にはたくさんある。
手作り○○と聞いて悪いイメージをいだく人はあまりいないと思うが何故だろう?
 
 1)機械製(マスプロ品)に比べてどこかあたたかみがある
 2)作者の気持ちが入っている
 3)機械では成し得ない人間のワザが施されている
 4)ゆがんでいたり、ラフだったりするのが人間らしい(?)
 5)特定の注文者向けにカスタマイズして作られることが多い
 6)その他いろいろ

 手作りの味だからといって、「マズイ」ものはやはりまずい。手作りは言い訳にするためのことばではないと思うので自分も気をつけねばと思っている。
 当工房も手作り家具・手作りギターを標榜しているが、決してすべて手工具だけで作っているわけではない。家具の場合はむしろ機械の出番のほうが多い。しかしその機械をうまく調整(調教)し、操り、てなづけるのは人手であるから、やはり手作りというべきだろう。
 つまるところ、ものづくりにおいては 「手は心」 として事に当たるとおのずと良いものができる気がしている。

5/7(Sat)
雨/晴れ

銀賞!
 宿舎での寝不足が連続したギター製作展が終わった。期待どおり楽しくて内容の濃い催しだった。

 35台もの力作、どれも明らかに前回を上回る出来と思われた。まず一次審査で6台に絞られる。通過者は会場に掲示され、運良く自分の名前もあった。審査員の先生方からは”パワフル”、”センスが良い”などとありがたい批評をいただいた。

 2日目の本選会。北口功氏と掛布雅弥氏がステージで6台のギターを演奏する。ギターとして普遍的な音楽表現能力を評価するためにバラエティをもたせた数曲が選曲された。どのギターも丸裸にされる。強烈なフォルテッシモに追従できないギターも続出する。
 それにしてもさすがにプロギタリスト、楽器の持つポテンシャルを余すところなく引き出す。
自分が弾く音とはまるで違う。自分の楽器を正確に評価するにはやはりプロのタッチが必要だと思った。

 そして緊張の表彰式。奇しくもプロ審査員の評価、会場の人気投票、そして私の評価が一致した結果となった。銀賞、つまり第二位だった。良いギターと思う感覚は人々の間で共通するようである。自分の感覚もずれてなかったようで製作者として安堵した。

 一方、小林恒岳画伯が選定する特別審査員賞に自分の楽器が選ばれるとはユメユメ想像していなかったのでこれには驚いた。聞けば自分の楽器は舞台栄えがしたようである。光栄であるし何より画伯がこの日の為に制作した「八郷新緑」という日本画が贈られるので小躍りしたい気分だった。苦労してオリジナリティにこだわったことが報われた。

 最終日、審査にあたられた人気・実力とも日本を代表するプロ製作家たちのギター演奏を聴いた。やっぱり素晴らしい。コンサート会場で十分通用する音量と音色、アマチュアとは明確に一線を画す洗練された容姿に製作者の個性が上手に演出されている。
それを目と耳と頭でしかと認識することができたのが、これからの製作活動への最大の収穫に間違いない。

 ということで、多くのギター好きの人々に顔を覚えられ交流ができたことも含めて有意義な作品展であった。

4/29(Fri)
快晴

オイルフィニッシュ
 今日、学習机セットの塗装を行った。机、サイドキャビネット、本棚の3点セットだ。アルダー材の優しさを活かすにはオイルフィニッシュが一番だと思っている。濃く仕上げたいときにはよく染み込む亜麻仁油や桐油など単体オイルを使うが、今回は比較的濡れ色の薄いオスモ社のノーマルクリアーを使った。オスモオイルにはワックス成分が含まれているので複数回塗るとオイルフィニッシュなのに「塗膜」を形成する。手垢など表面保護だけの目的なら1回でOK。自分は木綿の古肌着にオイルをつけて、最初は円運動で木目に摺りこみ、次に木目に平行に摺りこむ。仕上げにオイルのついていない布でふき取る。2回目は必ず24時間おいてから行う。もちろんそのままオイルを塗ってもよいが、軽くサンディングして毛羽取りしてから塗ると滑らかさが増す。2回目以降は浸透量がぐっと減るので少しのオイルで足りるが、丹念に摺りこんで最後は木目に平行にふき取ることが肝心。オイルフィニッシュはムラが出にくいのが特長であるが、その気になって観察すれば分かるので反射光を利用してよくチェックしながら塗りこんでいく。
 木にとってみても得体の知れない合成物を塗られるよりは、同じ仲間である植物の油を塗られるほうが気持ちが良いに違いない。
仕上がった木肌がそれを語っている気がする。

4/28(Thu)
快晴

ギター製作コンテスト近し!>
 初夏を通り越してまさに夏。でもさすがにカラッとしていて気持ちがよい。
茨城県ギター文化館でのギター製作展がいよいよ5月3日から始まる(興味ある方はこちらを)。
それに出す2台のギターを昨日発送した。自分がみても完璧とはいえない出来ではあるが、会場での反応が楽しみだ。なにしろ製作家、演奏家、エンスー等々のプロ・アマが一堂に会して、3日間も早朝から深夜まで唯一「クラシカルギター」だけを話題にして過ごす一種のシンポジウムみたいな会合なのだ。ギターを弾く人たちのギターへの思い入れは、あまたある器楽奏者のなかでもダントツのトップではなかろうか。いや絶対に間違いない。

 コンテストである限りはあわよくばと考えるのが人情。前回は運良く入賞を果たしたので今回もといきたいところだが、今回はフランスや韓国からの出展も含めて35台もエントリーしている由、ちょっと望み薄か。
 最後まで悩んだのが弦の選択。あれこれあれこれとっかえひっかえ試してみたが、満足できるものがない。つまるところ弦が悪いのではなく単に自分のギターが思うように鳴らないということに他ならない。これを1日じゅうやっていると自分の目差していた音がわからなくなってきた。
 結局、本番でのプロギタリストのタッチを想定して張りのきつめのやつを選んだ。

 コンテストの結果などとは別に、会場でのさまざまな催しやコミュニケーションなどめくるめく時間を楽しみにしている。

4/21(Thu)
晴れ

木偏に反ると書いて”板”
 例えば長さ120cm、幅20cm、厚み38mmのラフな板を、厚さ20mmにキレイに仕上げたいとする。これをひたすら自動鉋盤で薄くするのは能がないというより電気代も含めて資源の無駄づかいというもの。ここではバンドソー(DELTAの14インチ)の出番となる。
1.まず手押し鉋盤で基準側の面を平らにする。それを基準面とする。
2.その基準面を手押し鉋盤の直角ガイドに押し当てて、木端面も基準を出す。
3.さて、バンドソーで何mmの厚さに割るか? これが問題なのである。

 38mmの板を20mmに仕上げたいのだから、あとで自動鉋盤を通すことを考えてバンドソー段階では22〜24mmぐらいの厚みが適当と思われる。そうすれば10mm強の板も副産物として採れるのでこれも有効利用できる。
 実はこれで何回も失敗している。そう、バンドソーで挽き割ると幅方向はもちろん長さ方向にも反ることが多い。板の内部でバランスしていた力が挽き割ることによって一挙に崩れたためであろう。もちろん全く変化しない優秀な板もあるが、むしろ稀である。
 この反りを修正するために再び手押し鉋盤で基準を出してから自動鉋盤で厚み決めをする手順になる。そうしている間に目的の20mmになってもまだ平面が出ていない状況にあいなるという訳だ。
 この反りは慣れれば板の木目と挽き割る厚みの割合である程度予測はできるが絶対ではない。副産物を欲張ると肝心なものを失うという話。

 バンドソーを使わずに自動鉋盤だけで元厚の3割以上とかを削った時も同じ現象に出くわす。なので、裏/表を交互に通して更に目的の厚みに近づいたところで手押し鉋盤で今一度面出しをしてから最終の厚みに仕上げるようにしている。

4/18(Mon)
快晴

安全第一
 寒くもなく暑くもなく乾いた空気で風もない、お天気キャスターによれば絶好の行楽日和となろうが自分にとっては「仕事日和」ということになる。少々寂しいひびきもあるが、行楽はその気になれば年中OKの身なので心配には及ばない。
 世のクラフトマン諸氏もこの季節を謳歌されていることと思うが、ここで注意したいのは「ケガ」である。
思えば常に刃物と対峙しているわけで、ひとつ間違うと一瞬で悲惨極まりないことにあいなる。機械や道具側でそれなりの安全対策がなされているものもあろうが、実際に木を切ったり削ったりするものである以上、たまには木ではなく肉体の一部と接触しても何の不思議もない。

 長〜い工場勤務で耳にいくつもタコができた言葉がある。「安全第一」という教えである。何にもまして安全が優先するという考え方、いや哲学と云えるかもしれない。そのおかげで今は釘一本打つときだって条件反射的に「この方法でOKか?」と自問して少しでも不安があれば、めんどうでも時間がかかっても必ず対策をしてから行動する。それが仕事だと承知しているからだ。板の縦挽き(リッピング)はテーブルソーではなくバンドソーで行うのも、そちらのほうがはるかに安全だからだ。安全は職人のワザよりも尊いのだ。
 テーブルソーで思い出したが、おもいっきり刃を出したぶんの厚みの木まで挽けると思い込んでいる方(初心者やアマチュア)がおられるが、それを実行するとおそらくイチローの打率より高い確率で何かが起こるだろう。

 ほんの数mm先には地獄が控えている木工作業、皆さんくれぐれも「今日もご安全に!!」

4/9(Sat)
晴れ

Spring has come !
 さすがに4月。やっぱり3月とは全然違う。20℃はおろか所によっては30℃の声も聞く。ほんのちょっと前まで土筆(つくし)が生えていた畦にはタンポポが咲いている。いつしか天からはヒバリがピーチクパーチク。家のネコたちも日暮れまで外でゴロゴロ。
 花といえば桜。奈良盆地は実に桜の木が多い。そのため県内の小中学校、高校、大学にいたるまで桜をモチーフにした校章が多い。桜はその白い花びらの集合体が強烈なハイライトとなるのでいかなる周囲の景観においても主役を奪ってしまう。水辺の桜もいい、でも自分はまだ冬の様相を呈する野山をバックに咲き誇る姿が好きだ。
 いくばくの心配ごともなく、うららかな春の日を愛でられることを感謝している。

3/30(Wed)
晴れ

楽器の不思議
 花の便りもようやく聞かれるようになったが、大和路はまだのようだ。毎年吉野山にワラビ取りを兼ねて桜を見に行くが、いつもより遅くなりそうだ。
 気合を入れたギターがようやく完成した。まだまだ修行が足りないので完璧に納得できる出来ではない。前回の反省点はすべてフォローしたが新たな問題が出たりする。最低100台は作らないとダメらしいが、わかるような気もしてきた。今ストックしている材料がうまい具合に乾燥するころには、誰に見せても恥ずかしくないもができればと思っている。
 きのうプロのギタリスト氏が工房の見学に見えた。根っからのギター好きのようで聞けばコレクションのほうもすごい。さっそく最新作(松+ハカランダ)と昨年作(松+マダガスカルローズ)を弾いてもらったところ、即座にハカランダのほうがいいネと言われた。マダガスカルローズのギターもこれまでの自分のギターのなかでは最もいい音だったのだが、やはりハカランダは違うのか。ギタリスト氏は「品のいい音」と評してくれた。
 それにしてもなぜ裏板と横板の材質が異なれば音色がかわるのだろう?表面板の善し悪しはそのままサウンドに影響するのは理解できるが、横や裏板の材質差はどういう影響の仕方をするのか。堅さや密度の違いで音の伝達やボディ内部での音の反射具合が違ってくるのかも知れない。そうだとしてもその因果関係が不明である。官能評価になるので数値化は難しいが解明したいものである。とはいえ無理なことがわかっているので、誰かご教示してくれないかな。

 似た話はサックスにもある。長年吹き込んだ楽器は本当に抵抗無く抜けるように音が出るが、新品の楽器はどんなに完璧に調整してもそうはならないというのが通説だ。多少の抵抗感があるほうが表現しやすいという向きもあるが、それは別にして不思議な話だとおもう。
なので、塗装も剥げて一見スクラップみたいな40年以上前のサックス(例えばアメリカセルマーやキング社のいわゆるビンテージ物)が新品の何倍もする値段で売られていて、ジャズサックスプレーヤーは競ってこれを手に入れようとする。ただなぜかクラシックの演奏家は滅多にこんなサックスは使わない。ビンテージ物に限らず国産の楽器でも例えば10年以上も吹奏楽部で酷使されたサックスなんかは音色は別にして同じようによく鳴る。これらのサックス、自分も経験はあるが普通に呼吸をしているように吹けてしまうのだ。この理屈、どなたか説明できますか?

  
3/20(Sun)
晴れ

川上村木工センターのこと
 吉野杉と大滝ダムで有名な奈良県吉野郡川上村。そこにある木工センターでは毎年3回「森のリサイクル市」と称して木工センターで出た杉や檜の端材や大台山系で採れた広葉樹が販売される。まだ専門校生だったころからこのリサイクル市に足を運んでいるので、今では市のプロデューサーであるM氏とすっかり親しくなっている。
 そのM氏からこの4月と5月に大阪の豊中で村の木工展示会をするのだが、ついては当工房からも出展してくれないかとの打診があった。もちろん喜んでお願いしますということで、きょう品物を木工センターまで運搬した。
 木工センターに桟積みしてあるさまざまな広葉樹は自分にとってはまさに宝の山といえるが、聞けばこれらは杉や檜の生育の妨げとなるためにやむなく伐採された樹木で、ヘリコプターでなければ搬出できないことから通常は谷底で眠る運命だったものらしい。大きな楢や栃も山主にとってはいまだに雑木でしかないのだ。この話を聞きつけた木をこよなく愛するM氏、八方手を尽くしてこれを入手して製材した。かくして「森のリサイクル」が始まったわけだ。奥深い樹海には「邪魔物」となっている広葉樹がまだまだうっそうとしているらしい。例えば直径1mはあるヒメシャラとか。森のリサイクル市がますます楽しみだ。

     ☆木工センターのURLは、http://www.kcn.ne.jp/~masanami/index.html です。

3/13(Sun)
くもり・雪

ブラジリアンローズウッド
 アコースティックギターやクラシックギターで横板、裏板の材料として最良とされるのは?
それは何といっても現地語でJacaranda(ハカランダ)と呼ばれるいわゆるブラジリアンローズウッドだ。この材、アマゾンの熱帯雨林に原生する(していた?)が現在ではワシントン条約で伐採禁止だし日本でも輸入禁止となっている。したがってこのハカランダ材を入手するのは極めて困難な状況で、昔伐採して流通しているものは目の玉が飛び出る価格である。
 今作っているギターは、何とそのハカランダである。知人のご好意でゆずっていただいたものだ。ちょっと湾曲してたりねじれてたりしていたが、蒸気とプレスでなんとか歪みを取り去った。夢にまで見たハカランダ。心して作らねば。
 いま世界にはすでにハカランダは「使っちゃダメ」というノリの作家が増えてきている。インド地方で大量に植林しているインドローズでも勝るとも劣らない素晴らしい音が出せるし、その努力が必要という主張だ。

 楽器よりも家具材として乱獲に乱獲を重ねたハカランダ、もう間違いなく絶滅するだろう。
10年ぐらい前から植物に限らず「絶滅」という言葉をよく耳にするようになった。おのれが絶滅せんが為にというのならいざ知らず、全然そうではなく、人間のほんの些細な言わばどうでもよい娯楽や興味、趣向のために、ずっと今まで機嫌よく過ごしてきた生物を絶えさせてしまうのは殺人よりもひどい犯罪ではないか。そんなことをやっているのは地球上の幾万種の生物のなかで唯一「ヒト」だけだ。ヒト以外の生物はひたすら生きて子孫を残すことだけ目的として健気(けなげ)に生きているのに。
 「人は万物の霊長」という言葉はもうこれから生まれてくる人類に教えるべきでない。
それからその考え方を全てのヒトの頭から消し去る薬を誰か発明してくれ。

3/2(Wed)
くもり

ギターモード
 東大寺二月堂のお水取りも始まって、さっそく家人が見物(彼女は吟行と言う)にいったがまだまだ寒かった由。
外は寒いが工房の中はポカポカと暖かい。もちろんそこにいる人間のためでもあるが、作っているモノのためでもある。通常の家具だとことさらに暖房は必要ないが、ギターとなると特に接着の工程で暖房が必要になる。
 ということで今工房はギター製作モードである。5月に製作コンテストがあるのでそれに向けての製作だ。その間、家具のほうは文字通りシャットアウト。実は注文もあるのだがちょっと待っていただいている。
 家具とギター、どちらが本職?とよく聞かれるが今のところ本職は家具のほうである。理由は、ギターのほうはまだアマチュアだから。ちなみに今年の目標のひとつはギターもプロになること。では何をもってプロと称するのか?それはまず自分自身の評価に及第することだ。そしてそのあとはギターショップに並べてもらえるようになること。
  ギターも家具も同じ木工作業なのでもちろん技術的には互いに流用もしくは応用はできるが、精神的にはまるで違う心境なのである。それはどちらが精密だとかラフでよいとかではなく、最終的なゴールが違うからであろう。したがって両者を平行して進めることは自分には不可能だし、作業が切り替わったときの違和感もいまだに有る。ともあれ、いまはギターモードだ。もともとこれをやるために脱サラした。3月いっぱい存分に楽しもう。

2/22(Tue)
快晴

Alto Sax
 最近ちょくちょくと演奏依頼がある。人前でベラベラとしゃべるのは得意ではないというか疎ましささえ覚える自分ではあるが、楽器を演奏するとなると全く話は別である。けっこう自己顕示欲が強い性格なのかも知れない。だいたいホームページを開設して商売以外のネタをアップすること自体その性格の現れであろう。
 聴衆に聞いていただくことを目的とした演奏に限るが、どんな楽器であろうと演奏者の性格がヒョイとでるものだ。几帳面、ユーモア人、ノリが軽い、大風呂敷、賢い、リーダー的、すなお、優しくて親切、とっつきにくい、恋愛中、皮肉屋、がんこ、涙もろい、自己ちゅう、ええかっこしい、官能好み、何の面白みもない、飲んだくれ?、etc...てな具合。単純な曲のほうがわかりやすいと思う。ただ中には演奏で描かれる世界と現実の性格がまるでかけ離れるケースもみられるが、これは極めてエクセレントな演奏家にかぎってのことで、我々凡人の世界ではまずこういうことはない。
 かくいう自分の性格は?ということで分析してみる。当然、先に羅列したいくつかがあてはまるがここでは活字にしないでおく。しかしこの「隋&想」の読者なら先刻ご承知のことと察する。それは次の等式が成立するからだ。
  (聴衆に聞かせる演奏) = (不特定多数に読ませる文章)

 
2/15(Tue)
 くもり/雨

<♪春は名〜のみ〜の風の寒さや♪>
 立春が過ぎて俳句の季題的にはまさに春まっただなかの今日このごろ。たまに太陽が顔を出したりするとさすがに暖かくて気持ちが良い。このへんはヒトよりネコのほうが敏感なようで晴れの日とそうでない日の行動がまるで違う。天気がいいと、家じゅうで一番早起きして日中のほとんどを外で過ごすし、そうでない日はふとんやコタツの中から出てこない。
 春とはいえ寒い朝などは工房にも暖房を入れる。エアコンもあるが石油ストーブのほうがはるかに暖かい。コーヒー用のヤカンも置いておける。この暖房につられてか、くだんのネコも入れてくれと戸外でニャーニャー。そしてついには両手でアルミ製の引き戸を開けてしまう。家の中で磨いた技術だ。もし開けた障子を閉めてくれればテレビに出られるのにと思ったりしている。
 この時期らしい野鳥にもけっこうお目にかかるようになる。洗い場で刃研ぎしていると、ツグミやジョウビタキが間近に寄ってくる。ジョウビタキは上等なホンジュラスマホガニーに亜麻仁油をかけたような胸の色をしていてまことに綺麗であるが、羽を広げて飛んだときも素晴らしい色合いである。
まだ立春が過ぎただけではあるが、まちがいなく来る本格的な春に向かう希望に満ちたこの時期もなかなか味わい深い。

2/8(Tue)
 くもり

接着は釘より強し
 この一週間、青空を拝めていない。きょうも寒くはないがドンヨリした天気だ。天気がいいとなぜか得をしたような気分になるのは自分だけではあるまい。特に冬は。
 今日は学習机用サイドキャビネットの組み立てを行った。ふつう家具本体の組み立てのときは釘やネジ類は使わない。そもそも釘などを使わなくて良い設計にしているからである。コンベンショナルなこの組み付け方のほうが強度も耐久性もあるし美しいと思う。ちょっと大きいが興福寺や薬師寺の塔がよい例である。欠点は手間と時間がかかること、またそれなりに精度も必要。この辺が工房と工場のちがいになってくる。
 接着材も種々あるが、通常の家具ではやっぱり木工ボンド(酢酸ビニル系:略して酢ビ)が最もコストパフォーマンスに優れるので専らそれを使用している。最近は例のフォルマリンも減らしているようだ。もちろんケースバイケースでタイトボンド(米フランクリン社製で脂肪酸系)やエポキシ、ニカワなども使う。特に熱や水にさらされる可能性があるときは酢ビ系ではNGである。
 これらの接着剤の威力はまことに素晴らしく、例えば10mm厚の板を木端同士くっつけて乾燥してからトンカチで割ってみると、必ず接着面以外のところで割れる(極端に油分の多い木材は除く)。もちろん接着がまずいときは接着面で割れるときもある。ポイントは接着する面と面とが隙間無く密着していること、接着中はしっかりクランプすること。慣れてくると、にゅうっとはみ出たノリの具合で判断できる。また接着面がサンディングしてあるときは綺麗に木の粉を飛ばしておくことも重要。ついでにはみ出た接着材は執拗にぬぐっておかないと後で塗料をはじいてみっともない。
 日曜大工ファンの皆様、たまには木ねじとインパクトドライバーをボンドとハタガネに持ち替えてみては如何?

2/5(Sat)
 くもり

終わりよければすべてよし
 とは、世の中のだいたいのことがらについてあてはまるのではないか。
音楽や映画などのエンターテインメントはもとより学生生活、職業生活、はては人生そのものまで。クラシックのコンサートでは曲の最後の最後に盛り上がれば間違いなく大きな拍手がくるし、逆に静か〜に終われば「ブラボーッ」も出にくかろう。カラオケだってクレッシェンドしてフォルテシモで終わる歌のほうがインパクトが大きい(歌い手の技量によっては逆になるので注意)。
 さてこれを木工でいえば最終段の仕上げ、塗装ということになる。家具の場合は目に見えるところは通常すべて仕上げ鉋をかける。自分はこの作業に入る前には必ず刃を研いで鉋台を調整する。鉋刃の両端はほんの少しRをつけておくと(仕上げ砥石で数回)削ったときの境目が出にくい。鉋がけすると大抵の材料では窓の外の景色が反射して映るが、その景色が歪んでないことが肝心だ。まっすぐな蛍光灯ならまっすぐに映ってほしい。
 角はそのままだと手を切るので必ず面取りをする。鉋で角を削ると細い糸のような鉋クズがでるので「糸面」という。自分はルーターで大きく化粧面取りするのはあまり好きでない。触るとツルっとしていてささくれがなく、指が切れそうで切れないキリっとた糸面が好きだ。
 鉋がけのあとそのまま塗装に入る場合と、#400ぐらいのペーパーで軽くサンディングしてから塗装する場合にわかれる。これは樹種と塗装の種類によってさまざまである。鉋削りした面はたとえ#10000のペーパーでこすってもキズがつくので、本当はサンディングしたくないのだがサンディングしたほうが塗料の乗りやオイルの滲みこみがいい場合も多い。また木の粉が導管などに入って具合が良くなることもある。ちなみにギターの仕上げとなるとまさに「サンディングが命」となる。
 仕上げ工程はシンフォニーでいえば最終楽章。これがまずいとそれまでのプロセスが無に帰するし、良ければアバタもえくぼとなる(かな?)。

1/30(Sun)
 晴れ/小雨

工業製品の・・・・
 2段重ねると2300mmもあるチェスト(箪笥)の製作がやっと終わった。箪笥と天井との隙間がもったいないとのことでこの高さになったわけである。下は6段の引き出し、上は観音開きのキャビネットという構成である。見上げれば首が痛くなるほどの高さ、言われなくても上段の天板には地震対策用のフックを付けた。
 これぐらいの大きな引き出しになると、前板を外れにくくするためによくやるのが「包み蟻」という仕口(木組みのこと)。当工房もその加工をするための蟻溝ガイドを所有している(道具コーナー参照)。これが綺麗に決まれば絶対に前板は外れないし、見てくれも格好がいい。しかし今回はそれをやらずにもっと素朴で単純な「包み打ちつけ」でおこなった。その理由は「手作りの味」である。包み蟻の場合はいかにも機械でやりました風で、量販品いわゆる工業製品の匂いがぷんぷんすると思ったからだ。
「包み打ちつけ」は包み蟻に比べれば強度が不足するだろうから55mmの木ネジを2本ブチ込んでダボ埋めした。
 次は観音開き扉の話。扉のおさまりは蝶番の取り付けがすべてだ。木ネジ穴の位置が1mmもずれれば大失敗といってよい。0.5mmでもNGだろう。蝶番というものは取り付けてからズレないようにネジ穴径に余裕がない。なので下穴をあける時は扉を固定する治具を併用しながら細心の注意を払わねばならない。で、これを見事に解決してくれるのが「スライドヒンジ(蝶番」だ。これだと取り付けてからでも1mmや2mmの調整は可能である。したがって最近の開き戸ではほとんどこれが使われている。
 しかし自分はこれが好きになれない。だいいちスライドヒンジなるもの、図体が大きくて収納物の邪魔になるではないか。グロテスクでさえある。これも工業製品のこんこんちきである。それに比べて古来からの蝶番はシンプルで美しい。
 取り付けてから調整できる便利さは認めるがこの安直さと引き換えに何かいっぱい失っている気がする。

1/24(Mon)
 晴れ

日が暮れてナンボ!?
 放射冷却で朝はマイナス数度だったと思うが日中は久しぶりに暖かく、気持ちよくチェストにOSMOが塗れた。
 世の中には「東から出た太陽を西にお送りするのが仕事」と豪語(揶揄?)なさる御仁がおられると聞くが、ちっぽけな工房を自営する職人にとってはとんでもない話である。手があと2本あれば4倍仕事が出来るのに、千手観音ならば、、、、とあらぬことを考えている身にとっては。
 しかしである。なんと自分にも「日が暮れてナンボ」式のありがたい時があるのだ。例えば接着や塗装。これらは言わば時間が仕事をしてくれる。時間さえ経過すれば自動的にその工程が完結するわけだ。仕入れた材料を数年間シーズニングすること、これも時間の仕事だ。しかも1秒たりとも休むことはない。肝心なことはこれをわきまえた上で仕事の段取りをつけて、余すことなく恩恵を得ること。よく考えるとあたりまえの話でした。

1/20(Thu)
 晴れ

樹木シリーズ : アルダー
 カバノキ科ハンノキ属の広葉樹。日本のハンノキに相当するらしい。楢みたいに硬くなくて加工しやすく、散孔材ゆえにタモみたいに木目も派手ではなく、オイルとの相性も非常によくその仕上がりは温かみがあって清楚でさえある。居間に置いて日常茶飯事目にする家具にはこういう樹がいい。その種の家具(たとえばちょっと大きめのチェストとか)がもし仮に見事な木目のケヤキだったとすると、自分の場合は一週間で眺めるのがおっくうになるであろう。ケヤキはやはり普段あまり行かない座敷とかのほうが似合う。逆にこれをアルダーで作るとちょっと役不足の感は否めないだろう。
 北米で大量に植林されているおかげで比較的コストのかからない材料ながら、アルダーは適所で使えばその何倍もする樹種より遥かに人に対して安らぎを与えてくれる樹なのである。

1/16(Sun)
 曇り

賀詞交換会
 今年も前の会社の賀詞交換会が大阪の某ホテルで開催された。今回で2度目の参加だが、懐かしい人々との再会ということで年に一度の楽しみとなっている。自分はそのなかでちょっと離れた年少者ではあるが、同じ定年退職者として妙な連帯感を味わいながら談笑できる。
 そこで感じることは皆さんいい顔しているということ。現役時代のストレスや屈託というのもが眉間のしわといっしょに消え去っていて本来の表情に戻っているからだろう。それを拝見するだけで楽しくなる。
 その昼下がりのパーティーを皮切りに何度か場所を変えて延々と旧交を温めた結果、やっとこさ最終電車に間に合った次第。

1/8(Sat)
 小雨

刃物研ぎ
 自分は刃研ぎが好きだ。そのときの「無心状態」がいい。そこには楽器を吹いている時と共通するものがある。ただ技術的には100%満足していない。こだわりは研ぎ刃の姿。鉋やノミの刃は裏側はまっすぐで表側はある角度で斜めになっている。いわゆる片刃。自分が気にする刃の姿とは刃表と刃裏の面が完璧に平面であること。特に斜めになっている刃表側を気にする。ちょっと見た感じではむしろ凹面に見える感じがいい。これがちょっとでもまるみが感じられると気持ち悪いことおびただしい。刃幅の狭いノミはその感じがでにくいし、鉋刃でも硬いハガネになると何故かまるくなりやすい。必要最小限の時間でイメージどおりの刃姿に研ぎあげること、これがなかなかそうはいかない。訓練校での数か月の刃研ぎ実習、先生の評価基準は厳しかった。でも間違いなくそのおかげでいま家具が作れている。そしてまだまだ修行が続く。
  
1/6(Thu)
 曇り/小雨

木工は治具で決まる!
 誰かに聞いたのか家内が粟(あわ)入りのご飯を炊いてくれた。これがなかなか風味があってモチモチとウマかった。
で、それとは全く関係のない話。
 木工に限らず金物の工作でも治具(英語でもjigという。もともとは英語かも)は極めて重要かつ必要不可欠なアイテムだ。何か新しいものを作るときは、まず治具の考案からスタートするといっても過言であるまい。その役目はさまざまで、@作業時間短縮 A加工精度アップ B加工再現性の確保 C安全確保 等々で、共通することは「フールプルーフ化」。気のきいた治具を作ってそれを上手に使うことが作品の良し悪しを決めるし、コストダウン効果大でもある。
 治具と一口にいっても実にさまざまな態様がある。ここでいちいち紹介するつもりはないが、ネットサーフィンしているとまあ素晴らしい治具を見かけることがある。特にハイアマチュアの木工家のサイトで頻繁に拝見するのでアイデアを拝借することもある。一方、プロのサイトでは本に載っている定番の治具以外あまりユニークなものを見かけない(たぶん公開していないだけ)。裏を返すとこの辺がプロ意識の現われかも知れない。
 クラフトMでもそのうち「治具コーナー」を開設したいと思っている。

12/29(Wed)
 みぞれ

充実した年でした
 今年初にクラフトMとして家具作りをスタートしてもうすぐ一年。6月には小さいながらも工房を建てることも出来た。ホームページのおかげもあって、ずっとバックオーダーをかかえた状態でここまできている。ありがたいことだ。ただ、収支は?と考えると、いや考えるまでもない。これを気にすると木工屋は務まらないらしい。そのうち売り上げが投資を上回るときが来ることを信じよう。
 ギターのほうもなんとか3台作ることが出来て、友人に1台ゆずることもできた。こちらはまだプロ宣言していない。技術をさらに磨いて、マーケットもそれなりに開拓しないといけない。こちらは次年度の目標としよう。
 サラリーマンを辞めてもうすぐ2年、新たな友人もたくさんできた。利害のないところでのつきあいは本当に楽しい。2005年もよろしくお願いします。

12/23(Thu)
 晴れ

BGM
 工房にはCDラジカセがある。木屑が舞い上がるのでCDやテープはちょっとこわいが、ラジオなら安心だ。思えばサラリーマン時代から通勤時間の友は何といってもヘッドフォンラジオだった。ダイヤルチューナーのトランジスタラジオから始まって最後は地域を入れればFM局もAM局も一発でセットできるステレオラジオ。新幹線内のFMまでチューニングしてくれた。これは出張のときもたいへん重宝した。20年以上聞いてきたFM放送、今も継続している。朝8時ごろから日が暮れて仕事を終えるまで工房のラジオはつけっぱなしだ。それで聞くのはNHK−FMただひとつ。
 その理由はクラシック系の番組が多いからだ。しかも毎日毎日違う曲を楽しめる。珍しい録音やリアルタイム中継もある。もちろんクラシック以外の番組もあるがこれらも嫌いではなく楽しんでいる。BGMとは云えつい聞きたくなって手をとめるときもしばしば。機械を回しているときは全く聞こえないがそれはそれでかまわない。思い出深い曲が流れたときなんかは、人知れず胸が熱くなることもある。
 唯一、ラジオを止めるときがある。それはギター作りのとき、タップチューニングといって表面板などをたたいてその響きや音程をチェックするときだ。それを聞いて板の削り加減を行う。それでなくても微妙な作業で苦労するので、この時だけはラジオもご遠慮いただく。

 今日は年末恒例の第九の生中継があった。ボリュームを大きくして一年を振り返りながらいま取り組んでいるチェストの仮組みをおこなった。
12/22(Wed)
 晴れ

迷惑メール
 ホームページを開設してからというもの、歓迎しないメールが非常に多い。しかも半数以上がウイルス付きである。社会的、風紀的に好ましくないサイト/個人からの勧誘もこれでもかとあきもせず来る。当方のメールアドレスを使っておかしなメールを誰かに発信している場合もある。おそらく世界中の人が悩まされていることだろう。
 メールのあて先って制限あるのだろうか。その気になればパソコンの能力いっぱいまで発信できのかなあ。もしそうだとすれば億単位のあて先が可能だ。まあそこまでいかなくても星の数ほどの手紙を一挙にタダで送信できるのには間違いない。
 おれおれ詐欺あらため振り込め詐欺の被害が毎日のように報道される昨今、くだんのメールに引っかかってエライ目にあっている人はその何倍もいると思われる。かわいそうに。インターネットのおかげで我が商売も成り立っているわけだが、メールシステムの改革は絶対に必要だ。セキュリティの強化はやればやるほど蟻地獄にはまっていくだけなのでこっちの方向に向いてはダメ。敵はかしこいのだ。インターネット黎明期のように世界中のひとが知恵を出し合うときが来ている!

12/18(Sat)
 曇り

工房の床はフローリングにかぎります
 今年の6月に完成して約半年。まあ快適な仕事場だ。難をいえば広さだろう。いまのキャパシティーでは900x1800のテーブルを作るのが限界で、それを製作しているときは何も平行して作れない。でもそんなテーブルを「屋内」で作れるというのはありがたいことだと思っている。
 工房にはロフトがついている。ロフトといっても軸組み工法的には通り柱や胴差しは2階建て仕様としている。いまロフトはおもにギター作りのための資材置き場兼作業場、家具関係の材料置き場として使っている。もしこのロフトがなかったらせっかくの工房もほとんど機能していなかっただろう。ああよかったよかった。
 床は1Fもロフトもコンパネの上にフローリングを張って土足禁止にしている。これは作品や刃物を落としたときのことを考えてのことだが、さらによかったことは、足元が夏涼しく冬暖かいということのほかに、床そのものを作業台として使えるということだ。これは想定していなかったが大きなメリットだ。それからほこりや木屑があると非常に目立つので塗装前の掃除も行き届きやすい。寝ころんで作業してもなんら差し支えなく、土や砂の心配も無用。そして例のプラスチックのような丈夫な塗装をしているので何をこぼしても大丈夫。これを読んでいるあなた、作業場はフローリングに限りますぞ。それもB級やC級品で十分。

12/16(Thu)
 晴れ

安物買いの○○失い : 道具、機械編>
 今は一応プロをはっているが、つい最近まではバリバリのアマチュアだった。安くていいものを如何に調達して如何に使いこなすか。というノリである。ところが今作っている物に対してはどう頑張っても使えず「お荷物」となっているものも多い。このお荷物、「しもた!失敗や」と愚痴ると悔しいので「勉強代と思えば安いものだ」と考えるようにしている。さすれば何を勉強したのか? @この道具のここがダメなので使えない、Aここがこうなっているモノを今度買おう、Bこの機械の性能/機能では時間がかかりすぎる、云々である。特にBは重要である。一人工房の悲しさで毎日が「Time is money」なのだ。機械に対する投資は時間を買っていることに他ならない。しかしそれとは別に、生来の道具好きの虫がうごめいたときはこれからも素直にその虫に従うつもりである。

12/13(mon)
 晴れ

箱ものは難しい!
 家具木工や指物は、箱物に始まって箱物で終わる、とよく言われる。箱物とは箪笥や引出し箱などで椅子や机の脚もの(あしもの)に相対するカテゴリである。まだ三年にも満たない短い経験ではあるが既に箱物は難しいとつくづく思う。箱物には必ず外身に対して中身があるというのが難しくなる所以である。つまり外枠と内にくる引出しや扉類の直角平行が共に完全に出ている必要があって、しかもこの状態をずっと維持させなければならない。これが甘いと必ず隙間やガタが露見するし、引出しが開かなくなる(ただし量産品のように最初から極端にアソビがあってしかも前板が覆いかぶさっているような引出し類の話ではない)。このへんが椅子やテーブルより厳しいけど職人的に面白いのである。正確な墨線を引いてそのとおり加工すればある程度サマにはなるが、相手はたとえ乾燥していても無垢の木であるかぎり環境によって必ず変化する。したがってこれを睨んだ木の使い方や加工方法を臨機応変に考えなければならない。場合によっては墨線にもフィードバックさせなければならない。引出しはその開け心地が命だと思うし、大きな開き戸もまっずぐに縦かまちが通っているのがいい。これを親子孫の代まで維持しうる品物を目指している

2004/12/12(sun)
 晴れのち雨

時間
 サラリーマン時代の通勤時間は片道でドアtoドア2時間。まず車で最寄の駅へそこから近鉄で京都に出て更に乗り換えてという経路だ。
これを20年以上繰り返した。
この往復4時間という通勤時間であるが、ほとんど本や新聞とヘッドフォンラジオで過ごした。幸い電車では常に着座できたし、誰にも気を遣うことなくまぎれもなく自分の時間として楽しくというか少なくとも苦痛は感じなかった。FMでは好きなクラシック、AMでは阪神のナイター、愛読していた夕刊Fは隅から隅まで読むことできた。読んだパソコン誌の数ときたら、、、ただ、飲みにいったときはたいてい家には帰れなかった。
 
 各自の持つ時間は有限でさらに「質の高い」時間となるとこれは山ほどお金を積んでも決して買うことはできない。ここで「質の高い」とは個人個人で異なろうがおおよそ、身体的、精神的に健康、そして自由であり、経済的やその他のマイナス要素の心配事もない状態であろう。換言すれば「幸せな」時間ともいえる。ただしそれらの要素がいくつか欠落した状態でも、考え方しだいでいくらでも「質の高い」時間と感じ得ることも可能で自分も経験した。いわゆる positive思考というやつだ。
 有限である時間を思う存分味わって過ごしたいと願ってやまない。したがって自分の辞書には「時間をつぶす」という単語は存在しない。